【アーカイブ】沖縄の決断 証言・大田昌秀前知事:3(検証)

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【1999年10月28日朝刊37面】

 一九九六年四月、橋本龍太郎首相は宜野湾市にある米軍普天間飛行場の返還を発表し、沖縄の基地問題は急旋回する。防衛庁沖縄県と連携しつつ、嘉手納基地への統合案をひそかに模索するが、米側の抵抗で暗礁に乗り上げる。代替施設の問題はしだいに袋小路に向かった。

 (編集委員・外岡秀俊)

 ◇「普天間最優先」諸井氏が橋渡し

伏線

 九六年二月の日米首脳会談を控えたころだった。

 琉球銀行会長の崎間晃氏を通じて、財界人の諸井虔氏が二人きりで会いたい、と言ってきた。那覇市内のホテルの特別室でお目にかかると、「私は総理に助言できる立場にある。米側に何を一番訴えたいのか聞きたい」という話だった。

 私は、最も人命にかかわる危険が大きいのは普天間飛行場であり、もし事故が起きれば、日米関係は厳しい状況に追い込まれるだろう、と訴えた。

 これには伏線があった。橋本首相に「知事が一番求めるものは何か」と聞かれ、「普天間返還です」と答えたことがあった。

 諸井氏は私に念を押すように「普天間が最優先か」と尋ね、「気持ちが変わったら、いつでも連絡してほしい」と秘書の電話番号を私に知らせた。その後の日米首脳会談で、橋本首相が普天間の名前に言及したという報道を知り、あの時諸井氏にお話ししたことが伝わった、と感じた。

 <証言 諸井虔・太平洋セメント相談役> 少女事件の後、財界人がつくる「沖縄懇話会」で何か沖縄のお役に立てることはないかと話し合い、知事の真意を直接、橋本首相にお伝えすることを考えた。事前に総理にいわれたわけではない。帰京後すぐ秘書官に「極秘で総理にお会いしたい」と伝え、自民党総裁室で知事発言をワープロ二枚にまとめたものをお渡しし、口頭でご説明した。部屋を出る時に記者に用件を聞かれたが、「地方分権のことをお願いした」とごまかした。

 <証言 防衛庁幹部> 首相には日米会談の前に「米側は普天間を返すことはない」と、事務折衝での米側の硬い姿勢を申し上げていた。会談で普天間の名前が出たという報道を見た時、「だめなものを、総理はなぜお出しになったのか」と驚いた。

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