夏目漱石「吾輩は猫である」16

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 食うとすれば今だ。もしこの機をはずすと来年までは餅というものの味を知らずに暮してしまわねばならぬ。吾輩はこの刹那(せつな)に猫ながら一の真理を感得した。「得がたき機会は凡(すべ)ての動物をして、好まざる事をも敢てせしむ」吾輩は実をいうとそんなに雑煮を食いたくはないのである。否椀底(わんてい)の様子を熟視すればするほど気味が悪くなって、食うのが厭になったのである。この時もし御三でも勝手口を開(あ)けたなら、奥の小供の足音がこちらへ近付くのを聞き得たなら、吾輩は惜気(おしげ)もなく椀を見棄てたろう、しかも雑煮の事は来年まで念頭に浮ばなかったろう。ところが誰も来ない、いくら●(「足」へんに「厨」。読みは「ちゅう」)躇(ちゅうちょ)していても誰も来ない。早く食わぬか早く食わぬかと催促されるような心持がする。吾輩は椀の中を覗き込みながら、早く誰か来てくれればいいと念じた。やはり誰も来てくれない。吾輩はとうとう雑煮を食わなければならぬ。最後にからだ全体の重量を椀の底へ落すようにして、あぐりと餅の角(かど)を一寸(すん)ばかり食い込んだ。この位力を込めて食い付いたのだから、大抵なものなら嚙(か)み切れる訳だが、驚いた! もうよかろうと思って歯を引こうとすると引けない。もう一返嚙み直そうとすると動きがとれない。餅は魔物だなと疳(かん)づいた時は既に遅かった。沼へでも落ちた人が足を抜こうと焦慮(あせ)る度(たび)にぶくぶく深く沈むように、嚙めば嚙むほど口が重くなる、歯が動かなくなる。歯答えはあるが、歯答えがあるだけでどうしても始末をつける事が出来ない。美学者迷亭先生がかつて吾輩の主人を評して君は割り切れない男だといった事があるが、なるほどうまい事をいったものだ。この餅も主人と同じようにどうしても割り切れない。嚙んでも嚙んでも、三で十を割る如く尽未来際方(じんみらいざいかた)のつく期(ご)はあるまいと思われた。この煩悶(はんもん)の際吾輩は覚えず第二の真理に逢着(ほうちゃく)した。「凡ての動物は直覚的に事物の適不適を予知す」真理は既に二つまで発明したが、餅がくっ付いているので毫(ごう)も愉快を感じない。歯が餅の肉に吸収されて、抜けるように痛い。早く食い切って逃げないと御三が来る。小供の唱歌もやんだようだ、きっと台所へ馳(か)け出して来るに相違ない。煩悶の極(きょく)尻尾をぐるぐる振って見たが何らの功能もない、耳を立てたり寐かしたりしたが駄目である。考えて見ると耳と尻尾は餅と何らの関係もない。要するに振り損の、立て損の、寐かし損であると気が付いたからやめにした。漸くの事これは前足の助けを借りて餅を払い落すに限ると考え付いた。先ず右の方をあげて口の周囲を撫(な)で廻す。撫でた位で割り切れる訳のものではない。今度は左りの方を伸(のば)して口を中心として急劇に円を劃(かく)して見る。そんな呪(まじな)いで魔は落ちない。辛防が肝心だと思って左右交(かわ)る交(がわ)るに動かしたがやはり依然として歯は餅の中にぶら下っている。ええ面倒だと両足を一度に使う。すると不思議な事にこの時だけは後足(あとあし)二本で立つ事が出来た。何だか猫でないような感じがする。猫であろうが、あるまいがこうなった日にゃあ構うものか、何でも餅の魔が落るまでやるべしという意気込みで無茶苦茶に顔中引っ搔き廻す。

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