夏目漱石「門」(第五回)二の二

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 宗助は駿河台(するがだい)下(した)で電車を降りた。降りるとすぐ右側の窓(まど)硝子(ガラス)の中に美しく並べてある洋書に眼(め)が付いた。宗助はしばらくその前に立って、赤や青や縞(しま)や模様の上に、鮮かに叩(たた)き込んである金文字を眺めた。表題の意味は無論解(わか)るが、手に取って、中を検(しら)べて見ようという好奇心はちっとも起らなかった。本屋の前を通ると、きっと中へ這入(はい)って見たくなったり、中へ這入ると必ず何か欲しくなったりするのは、宗助からいうと、既に一昔し前の生活である。ただHistory(ヒストリ) of(オフ) Gambling(ガムブリング)(『博奕史〈ばくえきし〉』)というのが、殊更(ことさら)に美装して、一番真中に飾られてあったので、それが幾分か彼の頭に突飛な新し味を加えただけであった。

 宗助は微笑しながら、急忙(せわ)しい通りを向側(むこうがわ)へ渡って、今度は時計屋の店を覗(のぞ)き込んだ。金時計だの金鎖が幾つも並べてあるが、これもただ美しい色や恰好(かっこう)として、彼の眸(ひとみ)に映るだけで、買いたい了簡(りょうけん)を誘致するには至らなかった。そのくせ彼は一々絹糸で釣るした価格(ねだん)札(ふだ)を読んで、品物と見較(みくら)べて見た。そうして実際金時計の安価なのに驚ろいた。

 蝙蝠(こうもり)傘屋(がさ…

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