夏目漱石「それから」(第八十八回)十四の七

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 雨は翌日まで晴れなかった。代助は湿っぽい縁側に立って、暗い空模様を眺めて、昨夕(ゆうべ)の計画をまた変えた。彼は三千代を普通の待合(まちあい)などへ呼んで、話をするのが不愉快であった。やむなくんば、蒼(あお)い空の下と思っていたが、この天気ではそれも覚束(おぼつか)なかった。といって、平岡の家へ出向く気は始めからなかった。彼はどうしても、三千代を自分の宅へ連れて来るより外に道はないと極(き)めた。門野が少し邪魔になるが、話のし具合では書生部屋に洩(も)れないようにも出来ると考えた。

 午(ひる)少し前までは、ぼんやり雨を眺めていた。午飯(ひるめし)を済ますや否(いな)や、護謨(ゴム)の合羽(かっぱ)を引き掛けて表へ出た。降る中を神楽(かぐら)坂(ざか)下(した)まで来て青山(あおやま)の宅へ電話を掛けた。明日(あす)こっちから行くつもりであるからと、機先を制して置いた。電話口へは嫂が現れた。先達(せんだっ)ての事は、まだ父に話さないでいるから、もう一遍よく考え直して御覧なさらないかといわれた。代助は感謝の辞と共に号鈴(ベル)を鳴らして談話を切った。次に平岡の新聞社の番号を呼んで、彼の出社の有無を確めた。平岡は社に出ているという返事を得た。代助は雨を衝(つ)いてまた坂を上(のぼ)った。花屋へ這入(はい)って、大きな白百合(しろゆり)の花を沢山買って、それを提(さ)げて、宅へ帰った。花は濡(ぬ)れたまま、二つの花瓶(かへい)に分けて挿(さ)した。まだ余っているのを、この間の鉢に水を張って置いて、茎を短かく切って、すぱすぱ放(ほう)り込んだ。それから、机に向って、三千代へ手紙を書いた。文句は極めて短かいものであった。ただ至急御目に掛って、御話ししたい事があるから来てくれろというだけであった。

 代助は手を打って、門野を呼…

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