(後藤正文の朝からロック)バリアフリー、意識の中にこそ
映画館で車椅子を持ち上げる必要がある席の利用を次回から断られたという車椅子ユーザーの投稿について、SNSで議論になっているという記事をいくつか読んだ。
こうしたニュースの度に荒井裕樹さんの「障害者差別を問いなおす」を読み返す。この本で指摘されている、障害者の側に「わかってもらうように努力すべきだ」という圧力をかけるようなコメントが目についた。ありのままでいるだけで不利益を受けている人たちに対して、「差別的な構造を解消したいなら私たちに気に入られるように振る舞え」と要求するような精神性を感じて、胸が苦しくなった。
本のなかで引用されている障害者解放運動の牽引(けんいん)者、横塚晃一さんの「介護人というのは特定の人がやるものであるという発想自体が間違い」だという言葉が胸に迫る。エレベーターやスロープを設置したり、車椅子専用のシートを用意したりすれば、バリアフリーは達成されるのだろうか。誰にでも開かれた設備を整えることは重要だが、設備が整ってさえいれば私たちが何もしなくていいと考えるのは、介護や介助のアウトソーシングではないかと思う。
建物の傾斜や段差よりも、人々の意識こそが障壁になっている社会を想像すると寒気がする。バリアフリーには、私たちの意識も含まれていることを忘れずにいたい。(ミュージシャン)
◇「後藤正文の朝からロック」は4月から拡大して毎月第4日曜に掲載します。