(パブリックエディターから 新聞と読者のあいだで)「おすすめ」記事、何のため 山本龍彦

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 若者に人気の動画アプリ「TikTok」には「For You」というページがある。そこでは、閲覧履歴などから分析された利用者の好みに基づき、「あなたのため」の動画が次々と「おすすめ」され、画面をスワイプする(すべらせる)指を止められなくなるという。米国のIT専門家はTikTokのこの機能を「究極のスロットマシン」「デジタル・コカイン」などと呼び、その中毒性の高さに警鐘を鳴らす。

 実は、朝日新聞デジタルのアプリにも「For You」という機能がある。編集者の手作業によるおすすめ記事とは別に、閲読履歴をもとに利用者の関心に沿った記事を自動で選び出して紹介する有料会員限定の機能だ。TikTokのそれと同じではないが、私はそのネーミングにまず戸惑った。公共的役割を負ったメディアとして、利用者の好みや属性に合わせて情報を出し分けることがそもそも適切なのか。「読者」が読みたいものと、「公衆」として読むべきものとのバランスについて悩み抜くのが新聞であり、「編集」という作業なのだとすれば、そのこと自体が論点になるはずだ。「For You」というシンプルすぎるネーミングからは、その「悩み」が見えない。

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 情報過剰時代には、いかに利用者の認知領域を刺激し、数多(あまた)ある情報の中から自らのそれへと関心(アテンション)を向けさせるかが死活問題となる。この「関心経済」の世界では、徹底して利用者の嗜好(しこう)に合わせた情報を送り、「やめられない、とまらない」をつくり出す手法は最強だ。が、「公共」の創出という観点からは、それは最弱の手法とも言える。利用者の関心から似た情報を見せ続けることは、セレンディピティー(偶然的な出会い)のない狭隘(きょうあい)な世界へと利用者を閉じ込め、「他者」への関心を失わせるからだ。民主主義には開放性が必要だが、閉鎖性もまた人間の本性であるがゆえに、一度心地よい閉鎖空間を作られると、弱い。

 もちろん、このデジタル時代、アルゴリズム(計算手順)による情報の出し分け自体が悪いとは言えない。問題は、その機能に公共メディアとしての精神が反映されているかだ。この問いに、コンテンツ編成本部の石田博士・本部長代理は「アルゴリズムはクラウドサービスを利用しており独自性はないが、閲読履歴のデータで機械学習するので紹介記事の質は変化していく」。意外だったのは「For You」が、編集部門ではなく、基本的にビジネス部門の管轄になっているということだ。IT専門家のアニー・ゴールドスミス氏は、TikTokの中毒誘発型ビジネスモデルはネット空間で次々と複製されていると指摘するが、新聞も例外ではないということか――。

 不安げな私の表情を見て、石田さんは「セレンディピティーを高めるアルゴリズムも社内で構築中だ」と付け加えた。多少は安堵(あんど)したが、なお課題も多かろう。

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 第1は、デジタル化した新聞においてビジネスと編集の分離をどう考えるか。「For You」に加え、記事に付された識者・記者のコメントを読める朝日新聞デジタルの「コメントプラス」もビジネス部門の管轄というが、その仕事は「編集」に類似している。実際、編集者がジャーナリズム的観点から選んだ記事と、ユーザー体験(UX)の向上という観点からアルゴリズムで選ばれた記事とを、利用者が判別するのは困難だ。確かに、UX向上のための種々のサービスは、従来の「ビジネス/編集」という二分法にはおさまりにくい。が、そうであるならなおさら、両部門の、さらにはアルゴリズムと人力とのあるべき関係について一層議論する必要がある。編集が商業的アルゴリズムにのまれるなら、新聞はTikTokとの差分を失う。

 第2は、個人データの取り扱いだ。イーロン・マスク氏による米ツイッター社の買収劇もあり、今後、報道機関によるプラットフォーム(PF)監視はさらに重要となる。PFよりも利用者の個人データの扱いが雑だということになれば、PFを批判できなくなるだろう。「For You」についても、どのような個人データやアルゴリズムを使って「おすすめ」しているのか、利用者にもっと透明化すべきだ。

 第3は、「For Public(公共のために)」の精神をいかにアルゴリズムに反映させるか。民主主義を維持するには、多様な情報をバランスよく摂取し、偽情報などへの免疫をつけておくことが重要だ。中毒性の高いPFのアルゴリズムが情報の偏食を招くならば、公共メディアのアルゴリズムは「情報的健康」に配慮したものである必要がある。お好みとともに、これまで進んで食べてこなかった情報をいかに「おすすめ」できるか。そこに、TikTokのそれとは異なる「For You」の存在意義があろう。

 新聞にとって「For You」とは何か。デジタル化に際して取り組むべき真の論点は、そこにある。

 ◆やまもと・たつひこ 慶応大法科大学院教授。専門は憲法学、情報法学。現代のプライバシー権をめぐる問題に詳しい。1976年生まれ。

 ◆パブリックエディター:読者から寄せられる声をもとに、本社編集部門に意見や要望を伝える

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