協調と国益求めた外交官、脚光 国際連盟の司法裁判所長を務めた安達峰一郎

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 日本が満州事変を起こした1931年9月、武力によらずに紛争を収める国際連盟の常設国際司法裁判所(PCIJ)の所長は、日本人だった。外交官出身の安達峰一郎(あだちみねいちろう)(1869~1934)という。激動の時代に国際協調を求め、母国と世界とのはざまで思い悩んだ足跡を研究者たちが追い、現代的な意…

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