原爆の被害をタイ語に翻訳 バンコク在住の被爆3世がつないだ縁で

有料記事核といのちを考える

花房吾早子

 広島、長崎での被爆体験を伝える証言集が、タイ語に訳された。被爆二世が親について伝える証言を、タイ人学生らが翻訳。戦後に生まれた人びとの縁が、プロジェクトへと発展した。

 「当時18歳の母は、勤め先の広島駅北西部、陸軍第二総軍司令部にて被爆しました。腕を少し負傷し、壊れた兵舎の窓から脱出しました」

 「原爆投下の当時の事を、父は55年以上経つまで、話す事が出来ず、でもしっかりと鮮明に覚えていた」

 5月末、こうした証言をタイ語で収めた「私の中のヒロシマ・ナガサキ」(180ページ)が完成した。兵庫県被爆二世の会が2013~23年に会報で伝えた証言のうち、被爆2世を中心に計33人分が訳された。

 始まりは、バンコクに住む河口枝里子さん(33)の思いつきだった。

 祖母2人が広島の被爆者。高…

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この記事を書いた人
花房吾早子
大阪社会部|平和・人権担当
専門・関心分野
原爆、核廃絶、ジェンダー、LGBTQ+
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