沖縄季評 山本章子・琉球大学准教授
中国に留学中の学生から、青島市博物館(山東省)で見つけた展示物の写真が送られてきた。太平洋戦争終結で投降した日本兵の武装解除に、青島で従事した米兵の金属製水筒だ。米軍は現地の工場を日本兵捕虜の収容所とし、後に自民党政治家となる24歳の塩川正十郎氏もそこに収容された。
水筒に彫られた英語によると、持ち主の所属は米海兵隊第6師団第29連隊。退役軍人を中心に結成されたベテラン部隊だ。水筒と海兵隊員はグアム、ガダルカナル、沖縄で戦った後に青島へ来た。いずれも日本軍が壊滅した激戦地だ。沖縄では、地形が変わるほどの最大の激戦だったシュガーローフの戦い(那覇市)に投入された。
首里城の日本軍司令部への米軍進撃をかけて、7日間で日米合わせて約5千人の死者が出たといわれるシュガーローフの戦いは、沖縄でもあまり知られていない。戦跡が残っていないことが大きい。一帯は、沖縄が米軍占領統治から日本の施政権下に復帰して15年後の1987年にようやく全面返還されたが、那覇市新都心地区の跡地開発で激戦の痕跡は消えた。
ホテル建設のために一部削り…
- 【視点】
那覇・新都心にある「シュガーローフ」は首里の司令部防衛最後の重要拠点であり、その後の南部戦線の惨状を引き起こすきっかけになった激戦地としても、後世に伝え残すべき場所です。あのむごたらしい戦場の面影が、人々の中だけでなく「場所の記憶」としても
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