公式確認から68年 被害の全容不明、続く訴訟 水俣病の歴史と今

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今村建二 福井万穂
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 症状に苦しみ、償いを求める人の訴訟が今なお続く水俣病。5月1日で公式確認から68年を迎える。当時何が起き、今問われているものとは――。

 そもそも「公式確認」とは何か。

 1956年4月、後に水俣病の原因企業と判明する化学メーカー・チッソの付属病院(熊本県水俣市)に、水俣湾そばに住む5歳と2歳の姉妹が入院した。口もきけず、歩くこともままならない。同様の患者が他にも入院し、院長が5月1日、保健所に「原因不明の疾患発生」を届け出た。それが水俣病の公式確認日となった。

 保健所などの調査で、その年末までに54人の患者が確認され、うち17人がすでに死亡していたと分かった。53年12月に、最初の患者が発症していたことも確認された。

 原因は、チッソの工場が水俣湾や不知火海に垂れ流した廃水だった。化学製品の原料アセトアルデヒドの製造工程で発生した有毒な「メチル水銀」が含まれ、それが周辺の魚介類に蓄積。汚染を知らずに食べた人に被害が広がった。

 メチル水銀は脳など中枢神経を破壊。熱い、冷たいといった感覚が鈍くなる▽見える範囲が狭くなる▽耳が聞こえにくい▽思うように体が動かない、といった症状を引き起こした。「劇症型」と呼ばれる重症患者は、激しいけいれんを起こし、もだえ苦しみながら亡くなった。メチル水銀による大規模な環境汚染は世界初。根本的な治療法は今もない。

■「汚染源」指摘も規制なし…

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