色街を撮る、私の生きた証しだから 吉原に身を置いたシングルマザー

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上田学
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 東京・吉原のソープランドで働き始めたのは22歳のときだった。10代のころから性風俗業界に身を置くこと13年。51歳になったシングルマザーがいま、「色街写真家」として発信を始めたのにはわけがある。

 振り返ると、保育園のころから居場所がなかった。

 「男みたい」

 紅子さんは声が低かったせいか、仲間はずれにされることが多かった。小学生になっても、同級生から鉛筆で背中を刺されたり、トイレで水をかけられたり。先生も助けてくれず、いつしか学校に行けなくなった。

 両親と双子の妹の4人家族。実家は貧しかった。高校に進学したものの、やはり人間関係がうまく築けず、半年で退学。幼いころから絵を描くのが好きで、美術系の専門学校に入りなおした。

専門学生のとき、淡い憧れで

 19歳のときだった。自宅の郵便受けにあったチラシに目がとまった。

 「フロアレディー募集。日給1万円以上」

 専門学校の学費や画材代を工…

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