「民主憲法の父」140年後の墓じまい騒動 横倒しの標柱の行方は?

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編集委員・石橋英昭
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 アジサイの花で知られる臨済宗の名刹(めいさつ)・資福寺(仙台市青葉区)。

 本堂わきの墓地の中ほどに、そこだけぽっかりと空いた区画がある。跡継ぎがこの先いないということで、一昨年秋、墓じまいになった。

 千葉家之墓。ここには「民主憲法の父」が眠っていた。

 明治初めの自由民権運動のさなか、進歩的な私擬憲法を起草したことで知られる千葉卓三郎(1852~83年)だ。

 長く知られずにいたその草案は、1968年、東京・五日市町(現あきる野市)の土蔵で見つかったことから、「五日市憲法草案」と呼ばれる。

 ひっそり行われたはずの墓じまいは、だから、ちょっとしたさざ波を引き起こした。

日本国憲法の先取りだった「五日市憲法草案」

 卓三郎は、現在の宮城県栗原…

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