第2回社会の見えざる鬱憤いまも 小尻さんの無念「語り継がなければ」

有料記事銃口の記憶~目撃者の37年~

構成・田村隆昭 岸上渉
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 1987年5月15日、兵庫県西宮市の市民会館。参列した約2300人の眼前には、穏やかな表情のモノクロの遺影が飾られていた。

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 朝日新聞阪神支局(兵庫県西宮市)で1987年5月3日の憲法記念日の夜、散弾銃を持った男に記者2人が撃たれ、死傷した事件から間もなく37年を迎えます。「反日分子には極刑あるのみ」などとする声明文をメディアに送りつけた「赤報隊」が起こした一連の事件は関連・類似事件を含め計8件ありましたが、いずれも未解決のまま公訴時効が成立しました。阪神支局襲撃事件では小尻知博記者が死亡し、事件時に42歳だった犬飼兵衛記者も2018年に亡くなりました。この事件で存命の唯一の目撃者となった朝日新聞社員の高山顕治(62)が、振り返ります。

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 朝日新聞社による社葬で掲げられた小尻の遺影は、事件前に高山が撮影したものだった。

 支局のスクラップブックの棚を背に、そばの同僚に目を向けながらほほえむ。写真部(現・映像報道部)記者として入社した高山が、フィルムの余りを利用して撮影した、日常の何げないスナップだ。

正義感の強かった人が…過ぎゆく時間と募る後悔

記事の後半で、事件について語る高山さんの証言を収録したポッドキャストが聴けます。

 「小尻さんとは年も近くて、よく被写体になってもらった。居眠りしているところまで撮ったりね」

 そうやって撮りためていた中…

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連載銃口の記憶~目撃者の37年~(全2回)

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