JR宝塚線脱線事故19年 「痛み伝え続ける」生かされた私の役目

宮坂奈津 原晟也 石田貴子 谷辺晃子
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 乗客106人と運転士が死亡し、乗客562人が負傷したJR宝塚線(福知山線)脱線事故から25日で19年。遺族や負傷者、鉄道関係者らが事故現場を訪れて犠牲者を悼み、事故を伝え続けると誓いを新たにした。

 兵庫県尼崎市の追悼施設「祈りの杜(もり)」で開かれた追悼慰霊式に参加した伊丹市の玉置富美子さん(74)は、3両目に乗っていて負傷した。伊丹駅で乗車した電車はものすごい速さで走っていた。「事故が起きるかもしれない」。不安は的中した。脱線した際、車外に投げ出された。治療のため、今でも週3回のリハビリに通う。「事故は忘れたころにまた起きる。抱える痛みを伝え続けることが生かされた私の役目」と語った。

 「また今年も1年、生きたな」。1両目に乗車して負傷した宝塚市の会社員、木村仁美さん(40)は毎年この日に現場を訪れ、命の尊さを感じている。19年を振り返り「良いことも悪いこともあったが、大事なのはこれからをどう生きるかということだと思う」と前を向いた。

 次男が2両目に乗っていて負傷した高槻市の西尾裕美さん(66)は、事故発生時刻に合わせて現場近くで手を合わせた。次男の足には今も後遺症が残る。「絶対に事故を起こさせないため、皆がしっかり関心を持ち、忘れないこと、知らない人が知ることが一番大事だと思う」と話した。

 事故発生直後に現場で救助活動を手伝った西宮市の鉄工所経営、中川政樹さん(81)は、当時のことを鮮明に覚えている。救助活動中、車両の中に女性の手が見えた。だが、ガソリンのにおいが充満していたため電動工具を使うことができず、手を握って「頑張ってください」と声をかけることしかできなかったという。中川さんは「もっと早く助けてあげたかった」と涙ぐんだ。

 JR西日本労働組合中央本部の執行副委員長を務める西村勝さん(63)は事故当時阪和線の運転士だった。毎年現場に足を運び、事故の再発と風化防止への誓いを新たにするという。「事故当時を知らない若い社員に映像や資料だけでは悲惨さを実感してもらえない。経験した自分たちが言葉で伝えていかなくては」と力を込めた。(宮坂奈津、原晟也、石田貴子)

思いつなぐ「カリヨンの鐘」 伊丹で追悼行事

 乗客106人と運転士が亡くなった2005年のJR宝塚線(福知山線)脱線事故で、18人の市民が犠牲になった伊丹市では25日午前9時18分、JR伊丹駅前広場にあるカリヨン塔の鐘が18回鳴らされた。「事故を忘れない」という思いを新たに、市議や市職員、支援者ら22人が黙禱(もくとう)した。

 事故の起きた翌年から続く追悼行事で、呼びかけた「思いをつなぐ連絡会」の武本夕香子弁護士は「事故のことを次世代へ伝えることは大きな課題。あの日、この駅から列車に乗り事故に遭った方たちを忘れないためにも、鐘を鳴らし続けていきたい」と話した。(谷辺晃子)

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