親方が語った「花道を飾ってやって」 魁皇引退スクープ秘話

有料記事角界余話

抜井規泰
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 相撲担当の記者となった途端、僕は3日続けて親方衆から叱られてしまった。そして、本場所が始まると、さらなる試練が待っていたのだが、その話の前に……。

 前回、大関魁皇の師匠だった友綱親方(元関脇魁輝)から怒鳴られた話を書いたが、実はその後、僕は友綱親方には大変お世話になった。親方が定年退職したいまだから話せるが、朝日新聞がスクープした「魁皇引退」の情報は、友綱親方が僕に教えてくれた。

 2011年7月19日、7月場所10日目だった。大関魁皇は琴欧洲との大関対決に敗れ、引退を決めた。

 大関が引退する主なパターンは、次の二つだ。

 ①大関からの陥落が決まり、引退する

 ②大関陥落後も土俵を務めたが、さらに番付が落ちて幕内から十両への転落が決定的となり、引退する

 古い相撲ファンなら、長く審判を務めた頭部の盛り上がった親方を覚えているのではないだろうか。元大関大受。盛り上がった頭は、入門するための身長基準を満たすために、頭にシリコーンを入れたためだ。当時のシリコーンは1度入れたら取り出すことができなかった。盛り上がった頭は、朝日山親方の誇りだった。昭和以降の大関で、十両に落ちても土俵を務め続けたのは長年、この大受(のちの朝日山親方)ただ一人だった。

 この場所の魁皇は、カド番ではなかった。たとえ負け越しても、続く9月場所で勝ち越せば大関に踏みとどまれる。しかも、この場所で魁皇は千代の富士を抜く史上最多勝を打ち立てたばかりだった。場所直前には稽古用のまわしを新調していた。一見すると、引退に追い込まれる要素は見当たらない。

 ただ、この日の琴欧洲戦に敗…

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