世界への船出を期待された海軍操練所 幕末の堤防、港町神戸の礎に

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編集委員・中村俊介
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 閉ざされた幕末の島国から世界への船出を期待されながら、1年という短命に終わった徳川幕府の神戸海軍操練所の遺構が、160年後の神戸港に現れた。近世日本に近代の夜明けを告げ、現代の繁栄に至る防波堤の礎が重層的に連続していた。

 日本を代表する国際貿易港、神戸。しかしここも、かつては海辺の一寒村に過ぎなかった。

 転機は1864年。英才の誉れ高い幕府の軍艦奉行、勝海舟による建言で、士官養成機関である海軍操練所が開設され、歴史の歯車が動き出す。

 石積みの出土地は、開港時の波止場があった旧河口。目地を水平にそろえる布積みで、矢穴など表面調整のあり方から、神戸市文化財課は幕末の操練所関連と判断した。

 この遺構を土台に、上には明…

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