伝承と防災に尽力した釜石市幹部2人が退職 震災から13年課題山積

東野真和
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 【岩手】震災の記憶を人々の心に残し、いかに防災につなげるか。災害の被害を減らすための体制をどう整えるか。東日本大震災後、防災の2つの重要な視点で尽力してきた釜石市の2人の幹部職員がこの3月、引退した。

 臼沢渉さん(60)は2013年から9年間、震災検証室長を務めた。

 釜石市では、避難場所と勘違いして、鵜住居地区防災センターに逃げ込んだ160人以上が犠牲になった。検証室は、「この惨事を教訓にしなければならない」(野田武則・前市長)と、住民の声を徹底的に聞いて残す使命を負った。臼沢さんも「残さなければ伝えられない」との思いを強くし、震災後の市の対応について、「災害対策本部」や「避難所運営」など5編の検証報告書をまとめた。

 検証を通して、「市街地は住民のつながりの薄さを感じた」という。避難所運営に地域力の差が出たことが印象に残った。

 他にも「備える・逃げる・戻らない・語り継ぐ」を柱とした防災市民憲章を市民とともに練り上げ、震災伝承者の育成事業も手がけた。これほど手厚く検証・伝承を展開した被災自治体は県内で見当たらない。

 臼沢さんは、鵜住居防災センター跡地に整備した祈りのパークや津波到達時刻で止まった時計などが展示される「いのちをつなぐ未来館」の構想作りにも関わった。「議論を尽くさないと、住民のものにならない」と、大学教授ら有識者と住民が何十回も話し合った。「調整に苦労したが、駅前のにぎわいと追悼施設の静けさの両方を確保したいい場所になった」と振り返る。検証室は、臼沢さんの退職と共に廃止され、業務は文化振興課に移管される。

 もう一人の幹部、佐々木道弘さん(60)は22年4月から、危機管理監として奔走してきた。海浜部にあった自宅が津波で流され、5年間仮設住宅で暮らした経験がある。

 危機管理監に就任したのは、震災から11年が経ち、防潮堤などハード面の復興がほぼ終えた頃。県から新たに最大クラスの津波想定が示され、浸水域が大幅に広がった直後だった。これまで防災を担当したことがなかったが、浸水が想定される市内40地区以上で説明会を開き、避難場所や経路、備蓄倉庫を見直した。

 最も難しかったのは、要支援者の避難だ。「水害と違って地震から30分で来る津波の場合は共助の域を超えている」。車での避難を限定的に試行するなどの方策を探った。避難タワーの指定や、災害時の職員の初動態勢など、震災から13年たっても、懸案は山積している。

 2人が職場を離れる3月。小野共・釜石市長は記者会見で、2人の歩みを振り返り「臼沢さんは震災の記憶を風化させない中心的な役割をされ、佐々木さんは減災機能を担う重鎮だった。退くのは大きな痛手だが、新たな人材が育っている」と功績をたたえた。東野真和

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