男はなぜ「桐島聡」で死にたかったのか 文化人類学者が見た現代感覚

有料記事

聞き手・岡田玄
[PR]

 最期は自分の名前で……。半世紀近く偽名で逃げ続けた容疑者が、その死の間際に名乗り出た。社会にとって、個人にとって、名前はどのような意味を持っているのか。文化人類学者の出口顯(あきら)さんに聞いた。

 指名手配されながら、半世紀近くも偽名を使って警察から逃げ続けた容疑者が、「最期は桐島聡で死にたい」と語り、名乗り出たと報じられました。本人が亡くなったので、その理由や真意を本人に尋ねることもできません。

案外もろかった「国家による管理」

 制度面から考えると、日本では、戸籍に名前が記録されることにより、国民として登録、管理されていますが、今回の事件ではDNA型鑑定が本人だと特定するための一つの柱となったようです。もし関係者が検査を拒否していたら、特定するのは簡単ではなかったでしょう。

 普通なら土地や家族の結びつきが個人のアイデンティティーを担保してくれるはずなのに、身内やかつての仲間との連絡が途絶えていたという「桐島聡」にはそれがなかった。一方、偽名である「内田洋」が誰であるかは、職場や友人関係によって担保されていましたが、「内田」と「桐島」をつなぐのは、本人の自己申告によらざるをえなかった。しかも、それを証明できるものはほとんどなく、DNA型鑑定に頼ったわけです。登録された本名は遺伝子に勝てなかったようにも見えます。その意味で、国家による管理は、案外もろいということを示したとも言えます。

 しかし、他方で、名前は国家による制度の問題というだけではありません。

 名前は「親からの贈り物」と…

この記事は有料記事です。残り1151文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【締め切り迫る】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら

  • commentatorHeader
    佐倉統
    (東京大学大学院教授=科学技術社会論)
    2024年4月5日12時0分 投稿
    【視点】

    桐島聡が「最期は本名で……」と願った感覚は都市的あるいは現代的なものという指摘が興味深い。もっと根源的というか人の本性に根ざしたもののように思っていた。日本の名付けの制度は明治以降のものと言われれば、なるほどたしかにそうだと納得する。現代的

    …続きを読む
  • commentatorHeader
    富永京子
    (立命館大学准教授=社会運動論)
    2024年4月5日12時0分 投稿
    【視点】

    この桐島氏の「名乗り」をめぐる問題は社会運動研究の観点から見ても興味深いです。もともと社会運動に従事している人は、職場などへの「身バレ」対策に、Activist Name(桐島氏のような活動であれば「ゲバ名」のほうが親しみやすいかもしれませ

    …続きを読む