第3回米国の策略に「徹底的にやられた」 不平等条約、日本転落の10年

有料記事石に魅せられて

田中奏子 奈良部健

連載「石に魅せられて」

 技術者は自らつくる半導体を「石」と呼ぶ。半導体の材料となるシリコンが珪石からつくられるためかもしれないが、実際のところはわからない。石に魅せられた日本の技術者たちは、かつて築き上げた半導体王国の絶頂と転落に何を見ていたのか。石にかけた、彼らの生き様を追う。(敬称略)

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 1980年代の初め、40代だった橋本浩一(81)は米国に赴任した。

 現地で自動車を買うと、車体からオイルが漏れ出た。スーパーの駐車場では、そこかしこでオイルが水たまりのようになっていた。何かの部品だったコイルも転がっている。

 車屋に言うと「オイルが漏れたなら、足せばいいじゃないか」と開き直られた。「お前が買ったんだから、お前の責任」とも言われた。

 「半導体には向いていない国柄だ」。橋本はそう思ったと振り返る。

 66年にNECに入社し、半導体一筋で開発や営業に携わった。

 NECは一つの自動車に、同じ半導体回路を三つ載せたという。安全第一で、壊れても車が動くようにしていたのだ。かたやオイル漏れくらいは当たり前。日米の考え方には、かくも大きな隔たりがあった。

 「まっさらなキャンバスに好きな絵を描く。そういうことができる時代だった」

 上司から「10億円預けるから、好きな会社を買収していいよ」と任されたこともある。先端技術に対応するため、日本の部署の一つを閉じさせて、自分の配下に新しい部署をつくる、そんな勝手もやった。

 NECの品質管理を学ぼうと、米大手企業が工場に視察に訪れることもあったという。

 85年に半導体のシェアで世界の頂点に上りつめたNEC。しかし、この時、米国は反転攻勢に動き出していた。

「日本はシリコンバレーのスパイ」 繰り返されたバッシング

 後に「日米半導体戦争」とまで言われ、日本半導体の衰退を決定づけた出来事が起きる。

 半導体は軍事技術にも使われるため、米国として主導権を渡すわけにはいかない。産業界だけでなく政府や大学も巻き込んで、「日本はシリコンバレーのスパイだ」「米企業の日本進出が阻まれる」などの大々的な日本バッシングが繰り広げられた。

 NECの半導体も標的にされ…

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