「絆」で終わらせないために 女川に12年通って考えたこと

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 春3月、今年も宮城県女川町に行ってきました。

 東日本大震災で町の中心部が津波にのみ込まれ、住宅の6割以上が全壊、9割が被害を受けるという壊滅的な状況に陥った女川町。ところがその翌年、若者たちが中心となって「復幸祭」という名の祭りを開催します。

 当時は「被災者の方々の悲しみを考えれば、花見すらも不謹慎」という自粛ムードの真っただ中。そんな状況で「被災者自身が被災地でお祭り騒ぎとは何事か」と、容赦ない批判を浴びせる人もいたようですが、それでも彼らは女性アイドルグループを呼び、名産のサンマを焼いて来場者に無料で振る舞い、盛大なお祭りを開いたのです。

 そこには「多くの人に女川町に来てもらわなければ復興など望めない。いつまでも被災者ではいられない」という、将来を見据えた考え方がありました。日本中に蔓延(まんえん)した「絆」という言葉の裏にある「あわれみの情」は一時のものでしかなく、いち早くそれを断ち切って自立することを彼らは目指したのです。

 そんな祭りに初回から呼ばれ続けて、いつしか12年もの歳月が流れました。毎年3月になれば女川を訪れ、彼らの話を聞きます。

 震災直後は東北各地の名産を…

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