第3回「自分のルーツは重荷でなく力」 フランスのアルキから学んだ勇気

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 「軍用地における仮埋葬の記録」。ナディア・グアフリアさん(52)が2017年9月、フランス南部ガール県の公文書館で見つけた行政文書には、そんなタイトルがつけられていた。

 アルジェリアが独立を求めて旧宗主国のフランスと戦ったとき、フランス側に協力したアルジェリア人の補助兵や家族らは「アルキ」と呼ばれた。

 文書は、同県にあったアルキの収容所サンモリス・ラルドワーズで、1962~64年に亡くなった子どもたちの記録で、収容所の閉鎖から3年後の79年に作成されていた。

 名前や生年月日、埋葬日、死因が一覧表になっており、収容所近くの敷地に遺体が埋められたことも記されていた。ただ、全体で46ページあるはずだった書類のうち、公開されたのは14ページしかなく、残りは機密書類として非公開になっていた。

【連載】私は「アルキ」 探し求めたアイデンティティー

アルジェリア独立戦争中、フランス側で働いた現地の人々は「アルキ」と呼ばれ、「裏切り者」とされてきました。フランスにたどり着いたアルキの2世代目となる女性が、自身のアイデンティティーを探し求めます。

開示までに2年かかった政府文書

 「ほかにも亡くなった子どもがいるに違いない」。グアフリアさんは一部しか開示されなかった文書を見てそう確信し、すぐに国に書類全体の公開を請求した。

 政府から文書の開示決定が届くまでに約2年かかった。2019年8月、亡くなった子どもたちのリスト、埋葬地の地図、当時の現場写真、そして担当職員の証言録が開示された。

 そこには収容所で亡くなった計31人が一時的に仮埋葬され放置されたままになっていることが記されていた。そのうち30人は子どもだった。

 生まれて間もない赤ん坊や幼児の多くが「はしか」で亡くなったとの記録もあった。当局は当時、亡くなった子どもたちを収容所のある町の墓地に埋葬しようとしたが、町長から「空いている場所がない」と拒否され、遺族に知らせずに収容所近くの敷地に埋めたという経緯も分かった。

 グアフリアさんは母から衛生環境の悪い当時の収容所では、はしかが流行したと聞いたことを思い出した。

 自分が生まれる前に家族が暮らした収容所で、十分な医療を受けられないまま亡くなった子どもたちがいた――。人ごととは思えず、放置できなかった。

 怒りが湧いたのは、収容所の…

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連載私は「アルキ」 探し求めたアイデンティティー(全3回)

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