度重なるけが、母の支えで克服できた 活躍誓う神村学園の4番・正林

冨田悦央
[PR]

 「いっぱいユニホームを汚しておいで」。母はそう言って、練習に送り出してくれた。度重なるけがに苦しむ時も支えてくれた。大会注目の強打者、神村学園(鹿児島県いちき串木野市)の正林輝大(しょうばやしこうだい)選手(3年)は、夏春連続でたどり着いた甲子園で活躍を誓う。母への感謝の思いも秘めて――。

 強打を誇るチームで2年春から4番を任され、昨夏は4年ぶり6回目の選手権出場の原動力に。甲子園では打率4割超えで、大舞台での強さもみせた。夏の県大会から甲子園までの疲労が残る中、昨秋の県大会(優勝)と九州大会(4強)の計8試合では3割2分(25打数8安打)、打点8を記録。不動の4番に成長したが、道のりは平坦(へいたん)ではなかった。

 佐賀市生まれで、4人きょうだいの末っ子。父の敬三さん(52)とのキャッチボールから自然と野球に親しみ、地元の強豪少年チームへ。猛練習でユニホームは毎日泥だらけだったが、母の美和子さん(52)は、笑顔で後押ししてくれた。

 だが小学6年の時に右ひじを痛めた。野球ひじとも呼ばれる「離断性骨軟骨炎」で、自分の右ひざの軟骨を移植する手術を受けた。周囲の支えで回復したが、中学2年になったばかりの春、今度は腰に痛みが走った。

 同じ頃、美和子さんがくも膜下出血で倒れ、意識不明に。家族は全員病院に呼ばれた。練習中の正林選手もチームメートの親の車で向かったが、病院前に止まった車から出ることができなかった。

 いつも明るく元気で、おいしいご飯をおなかいっぱい食べさせてくれる。魚釣りが趣味の自分を、ブラックバスが釣れる川まで車で連れていき、日が暮れるまで付き合ってくれる。泥だらけのユニホームは真っ白にしてくれる。そんな母がベッドに横たわる姿を見たくなかった。回復を祈って過ごした3日後、母は意識を取り戻した。「本当に奇跡的に回復してくれた」と正林選手は振り返る。

 美和子さんはしばらく左目が見えにくい状態が続いたが、「息子が野球をする姿をまた見られるように頑張ろう」とリハビリに取り組み、快方に向かった。

 正林選手は安堵(あんど)したが、腰の痛みがひどくなった。監督に伝え、通常の練習から外してもらった。「母に心配させたくない」と家族には黙っていたが、異変に気づいた美和子さんから「病院に行こうね」と諭され、腰椎(ようつい)分離症と判明。治療を経て中学3年の全国大会で活躍し、強豪の神村学園に進んだ。

 昨秋も左足を痛めたが、回復後、冬場に足腰をしっかりと鍛えなおした。新基準の低反発バットに対応する特訓にも励んできた。「一戦一戦、目の前の試合に全力を尽くす」と今大会での意気込みを語る。

 今月18日の開会式。甲子園のスタンドから見守った美和子さんは「夢の甲子園にまた来られた。チームのみんなと一緒に、本当によく練習したね」とほほえんだ。大会5日目(22日予定)の第1試合に組まれた作新学院宇都宮市)との初戦にも家族と駆けつけるという。(冨田悦央)

有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。

【締め切り迫る】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら