太宰治も愛した跨線橋、最後の1日 94年間の思い出「ありがとう」

【Last Day】太宰治も愛した三鷹の跨線橋。最後の日に密着した=小林一茂、西岡臣、西田堅一撮影
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 眼下には電車がひっきりなしに行き交っていた。子どもが手を振ると、運転士さんが振り返してくれることもあったとか。遠くに目をやると、富士山が飛び込んでくる。95年前にできた線路をまたぐ橋は、ここを渡った多くの人の心を引きつけてきた。そう、あの太宰治も。

 東京都三鷹市のJR三鷹駅から歩いて10分ほど。全長90メートル、高さ5メートルの「三鷹跨線(こせん)人道橋」は、まちの人の往来を線路の上でつないできた。

 完成は1929年。旧鉄道省が三鷹電車庫(現・三鷹車両センター)開設の際につくった。鋼材不足を補うため随所に古いレールが使われた。鉄道ファンだけでなく、地域の人の散歩コースとしても愛された名所だったが、JR東日本は老朽化を理由に撤去を決めた。

 昨年12月。そんな跨線橋の渡り納めとなる最後の3日間には、3千人以上が訪れた。それぞれの思いを胸に、別れを惜しんだ。

 「長い間、ありがとう」

 西東京市の近藤秀明さん(72)は、杖をつきながらさび付いた階段を上り、ゆっくりと渡り終えて涙ぐんだ。10歳の時から自転車で通い、ここから特急「あずさ」を撮影するのが好きだった。

 家族で訪れた長峯樹(ながみねいつき)さん(9)は毎週、ここから大好きな電車を見続けてきた。夏休みの課題で作った「こせんきょう新聞」にはこう書いた。

 「電車がとおるとき、はしの上から手をふると、運転士さんがときどきけいてきをならしてくれます。はしがなくなるのはざんねんです」

 三鷹で暮らした文豪、太宰治が愛した場所としても知られる。マントを羽織って階段を下りる写真は有名だ。弟子が太宰との思い出を書いた文章には、「ちょっといい所がある」と連れて行かれ、橋の上から2人で景色を眺めた逸話も残る。

 黒いケープコートを羽織り…

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