なぜ朱雀門の外で出土? 聖武天皇の「大嘗祭」木簡が物語る施設とは

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今井邦彦
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 平城宮朱雀門近くの大型土坑から見つかった「大嘗(だいじょう)」木簡。古代史の研究者らは、聖武天皇(在位724~49年)の大嘗祭(だいじょうさい)の実情を物語る文字史料が出てきたことに驚く。一方で、出土した場所は、現代で言えば皇居と中央官庁が集中する「平城宮」の外。そこにどんな大嘗祭関連の施設があったのか。木簡の分析にも注目が集まる。

 聖武天皇の大嘗祭は、724(神亀元)年11月23日に執り行われたことが、史書「続日本紀」に書かれている。儀式の場となった仮設の建物群「大嘗宮」の遺構は、後に第2次大極殿が立つ「東区朝堂院」での調査で、奈良文化財研究所(奈文研)が確認していた。5時期の建物跡が重なっており、聖武天皇を含む5代の天皇がここで大嘗祭を営んだと推定されている。

 今回、「大嘗」木簡が出たのは、平城宮の正門・朱雀門から約200メートル南東にある大型土坑(穴)。他にも各地から運ばれた荷物に付けられていたとみられる「荷札木簡」が大量に出土した。

 調査を担当した奈文研の馬場基(はじめ)・平城地区史料研究室長は「荷札が外されるのは荷ほどきの時。各地から集められた大嘗祭用の物資を集積するバックヤードのような施設で、そこで木簡をまとめて捨てたのでは」と推定する。今回の発掘調査では、土坑の近くで6棟の掘立(ほったて)柱建物跡が東西に並んで見つかり、1月には現地説明会も開かれた。

 ただ、平城宮の中枢部にある…

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