聖武天皇「大嘗祭」に関わる木簡出土 大嘗の文字も 奈良・平城京跡

今井邦彦
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 聖武天皇(701~56)が1300年前の即位時に行った「大嘗祭(だいじょうさい)」に関する木簡が、奈良市平城京跡で大量に見つかった。奈良文化財研究所(奈文研)が19日発表した。大嘗と記された木簡の出土は初で、秘儀とされる大嘗祭の実態解明につながる貴重な発見という。

 木簡があったのは、平城宮の正門「朱雀門」から約200メートル南東。発掘調査で見つかった方形の穴(東西2・8メートル、南北2・5メートル)から、1千点以上が水につかった状態で確認された。

 その中に「大嘗分」「大嘗贄(にえ)」などと書かれた木簡が、少なくとも4点あった。神亀元(724)年と記された木簡もあり、同じ年にあった聖武天皇の大嘗祭に関わると判断した。

 木簡は、儀式で使う物資の荷札だったとみられ、白米や木炭、糸、苫(とま)(むしろ)などが記されていた。大嘗祭の終了後にまとめて廃棄されたらしい。その多くは備中国(びっちゅうのくに)(現在の岡山県西部)や周防国(山口県南東部)から運ばれていた。

 大嘗祭では「悠紀国(ゆきこく)」と「主基国(すきこく)」に選ばれた2カ国から新米が運ばれる。聖武天皇の時には備前(びぜんの)国(岡山県南東部)と播磨(はりまの)国(兵庫県南西部)だったとされ、備中国や周防国の関与が分かったのは初めてという。ほかに安房国(千葉県南部)と書かれた木簡もあった。

 大嘗祭は天皇が即位の後、最初に収穫された新米を神々に供え、国の繁栄と五穀豊穣(ほうじょう)を祈る儀式。天武天皇が即位した673年が最初とされ、現天皇が即位した2019年にも行われた。

 奈文研の馬場基・平城地区史料研究室長は「大嘗祭は秘儀とされ、記録なども非常に少ない。木簡を分析し、儀式の内容に迫ることができれば」と話す。木簡は今秋ごろの公開を検討中という。今井邦彦

はっきり書かれた木簡に驚き

 栄原永遠男(さかえはら・とわお)・大阪市立大名誉教授(日本古代史)の話 これまで大嘗祭との関係が確実な奈良時代の木簡はなく、「大嘗」とはっきり書かれたものが出て驚いた。公式の歴史書にも大嘗祭の記述は少なく、大量に出土した木簡の判読が進めば、様々なことが分かるのではないか。

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