「まちの復興」と「個人の復興」にズレ 直面した災害と過疎の連鎖

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仙台駐在編集委員・石橋英昭
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 宮城県石巻市女川町の牡鹿(おしか)半島。南北約20キロ、面積は石川県能登半島の20分の1ほどだ。浜ごとにある漁業集落は、どこも津波で被災した。13年後の今、それぞれ高台に集団移転団地ができ、漁港も復旧された。

 「これでよかったんだろうか……」。ここでカキ養殖を営む本間文雄さん(71)は、海を見晴らす新居で話した。

 本間さんの集落は震災前の40軒が半分以下に減った。漁業者は15軒から5軒に、うち後継ぎがいるのは2軒だけ。移転団地は空きが目立つ。

 「復興はもっぱら行政におまかせだった。今思えば、俺たち自身がどんな集落をめざし、何がどれだけ必要か、もっと話し合うべきだった」

 高齢者が残され、産業基盤が…

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