マイナ保険証へ至る歴史 豪商は警察署長とつかみ合い寸前に

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文・浜田陽太郎 写真・岡原功祐
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 健康保険証はスペードのエース――。厚生労働省の元幹部からこんなセリフを聞いた。

 トランプ最高位のカードにたとえる心は「これがあれば、日本全国の医療機関を受診できる。支払いは、実際にかかった費用の1~3割」だ。

 その健康保険証が12月に原則、マイナンバーカードを使う「マイナ保険証」に切り替わる。ただ、個人情報のひもづけ誤りなどの混乱で、昨年は岸田政権を苦しめるジョーカーの役回りも演じてしまった。

 新しい仕組みのPRには現場がいる。東京慈恵会医大付属病院(東京都港区)は、マイナ保険証活用の先進地として度々、大臣らの視察やメディアの取材を受け入れてきた。霞が関の官庁街からほど近く、毎日3千人近い患者が訪れる新しい外来棟のカウンターには7台のカードリーダーがずらりと並ぶ。

 自らも説明したいと、取材に同席した厚労省の伊原和人(かずひと)保険局長(59)は「診療や薬剤の情報共有など医療DXの本丸はこれから」と力をこめた。

膨大なレセプト情報を管理、一部手作業も

 そう言えるのは、公的医療保険を使って受けた医療の情報は、政府が一元的に把握する仕組みがあるからだ。

 その要の役割を果たす場所を訪ねた。池袋駅から徒歩約8分の社会保険診療報酬支払基金関東審査事務センター。病院や薬局など都内約3万3000の医療機関からのレセプトと呼ばれる請求書は、治療や薬の明細つきでここに集まる。その数は、月約1600万件。医師らによる委員会の審査を経て、健康保険組合など保険者ごとに請求し、医療機関に払う。

 月に1度、請求書などの書類を都内約2200の保険者や自治体ごとに束ね、宅配便で発送する作業日に取材した。デジタル化を進めているが、紙でのやりとりがなくなる見通しは立っていない。

 1億2千万人が加入し、年間の保険料22兆5千億円を払い、窓口負担と公費を加えて45兆円の医療費を使う。国民皆保険という巨大なシステムの源流は、ドイツの鉄血宰相、ビスマルクの制定した疾病保険だ。これをモデルに、日本で健康保険法が制定されたのは1922年。第1次世界大戦後の深刻な不況で、都市労働者が困窮、争議が頻発したことへの対策だった。

健康保険に戦時立法の性格

 この健保法の対象外だった農民も、世界恐慌の影響に凶作も重なり窮乏、治療費が払えず身売りする事態も生じていた。このため、農村医療の確保が喫緊の課題となり、33年から内務省社会局保険部は健保法の農村版の検討を始める。

 「商工自営業者も対象だが、主な目的は中産階級以下の農民の救済。日本はすでに準戦時体制下にあり、農村の小作争議を防ぐとともに、健康な兵力を確保して銃後の守りを図るという戦時立法の性格をあわせ持つ」と、島崎謙治・国際医療福祉大大学院教授は解説する。

 翌34年に国民健康保険制度(国保)の要綱案が発表された。だが、減収を心配した医師会や売薬業者をはじめ医療関係団体は大反対した。また、健保法と異なり、諸外国に例をみない日本独自の構想であり、政府部内でもうまく機能するのか懸念も大きかった。

 この段階で重要な役割を果たしたのが、埼玉県越ケ谷町(現越谷市)である。

■健康保険の組合が治安警察法…

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