県内のゆかりの人たちが五百旗頭さんの死を悼む

東野真和 小泉浩樹
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 6日に亡くなった政治学者の五百旗頭(いおきべ)真さんは東日本大震災の復興構想会議長などを務め、震災復興に向けて「創造的な復興」を提言した。五百旗頭さんにゆかりのある県内の関係者は思い出を語り、その死を悼んだ。

 五百旗頭さんは2016年に開かれた「いわて復興未来塾」で、「東日本大震災の教訓と次なる備え」と題して基調講演をし、今後の復興について提言した。

 この中で、自身が被災した阪神・淡路大震災で「日本という国は、苦しんでいる人を何とか助けよう、支えようとする温かい共同体」と感じたことから、「東日本大震災の復興構想会議の議長として出来うるかぎりのことをやろうと固く誓った」と語った。

 復興構想会議の議長として、五百旗頭さんは県内に何度も視察に訪れた。

 大槌町の碇川豊・前町長は震災の年の視察で、高台の上から壊滅した町を見ながら震災伝承について意見を聞いたのが印象に残っているという。職員ら40人が犠牲になった旧役場庁舎について、「負の財産だが、これは教訓として残すべき物語があると話されていた。思慮深い方だった」と当時を振り返った。

 市長時代に復興構想会議のヒアリングなどで何度か応対したことがあるという野田武則・前釜石市長は「知識があり、理論だっていて、話し出すと何分も止まらないくらいだった。もっと多方面で活躍すべき人だったので、とてももったいない」と残念がった。さらに、「現場は高い所から理論だけではすまないことも多い。できれば1~2年、被災地で生活してくださったら、あれだけ頭のいい人なら、また違った発想も出てきたかもしれない」と話した。

 県内の視察に同行した岩手大名誉教授の広田純一さんは、五百旗頭さんから、「被災地を必ず復興させる、という強い意志を感じた」と話す。大局的な視点で復興への決意を語る姿に影響を受けたという。

 今年1月、能登半島地震が起きた。震災復興や地域づくりなどを実践する広田さんは、「コミュニティーの再建、復興に貢献したい。五百旗頭先生から、研究者として、被災地に向き合う姿勢、責任感を学んだ」と話した。

 釜石市在住のフリーライター・手塚さや香さんは毎日新聞記者時代、書評委員だった五百旗頭さんを担当した。「歯に衣(きぬ)着せぬ論客だったが、私のような若い記者にも偉ぶらず丁寧な人でした」

 東日本大震災後の2015年、宮古市内のホテルで、五百旗頭さんから地域の現状を聞かれたことがある。当時、手塚さんは、釜石市の支援員を務めていた。「阪神・淡路大震災で教え子を亡くしたことが常に原点にあると話されていた。果たして『創造的復興』という方向に進んでいるのだろうか、という懸念を持っておられた」と語った。東野真和小泉浩樹

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