明徳義塾(高知)を30年以上率い、甲子園に春夏通算37回(中止になった2020年春の選抜大会を含む)の出場歴を誇る馬淵史郎監督(68)が「忘れもせん」と語る試合がある。
1992年夏の甲子園での一戦だ。
「戦う前は不安で臆病なんよ」
監督3年目で2回目の甲子園になった第74回全国選手権大会。初戦で星稜(石川)と対戦した。松井秀喜(元巨人、ヤンキースなど)に5打席連続で敬遠してから、ずっとヒール扱いや。
今なら絶対にやらんね。
こんな大騒ぎになるなら、やるんじゃなかったというのが正直な気持ち。バッシングされるとは、考えてもなかった。
当時36歳やからできた。もうバッシングを受けるのは嫌やもん。
試合後、ヤジにかき消されて校歌が歌えなくて、宿舎に3千本近い抗議電話がかかった。次の試合で負けた。
学校に戻ってから、辞表を出したんよ。「大騒ぎにさせて迷惑かけたから辞めます」と。
でも、学校からは「何を言っているんだ。こっちはルールにのっとってやったので悪くない。なんで辞めなあかんのや」と慰留された。
30年経って、(U18)ジャパンの監督をやるなんて夢にも思わなかった。人生わからんで。万事塞翁(さいおう)が馬よ。
でもね、今でも言えるよ。
「作戦としては間違っていない」と。
あの試合、明徳義塾は4安打…
- 【視点】
「松井秀喜の5打席敬遠」は私が高校生のときにライブで観ました。松井選手の突出ぶりを目の当たりにして驚いたことと、そこまでして勝とうとする明徳義塾の采配に複雑な思いを抱いたことが思い出されます。一緒に観ていた祖母の、「やりすぎやで」というつぶ
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