「孤独な日々のともしび」、認知症の自分を支えた親友への感謝の思い

有料記事認知症と生きるには

精神科医・松本一生
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 社会が高齢化して地域には空き家が増え、親を見送った子供が高齢になって一人暮らしになっていることも、地域でよく見かけるようになりました。私が担当した人のなかには、これから紹介するエピソードのような経験をした人もいます。今回は最近のことなので、とくに個人情報の守秘を心がけてお伝えします。

隣人は幼なじみ

 正木和子さん(67歳、仮名)、アルツハイマー認知症の女性とは、医師会が開催する市民講演会で3年ほど前に出会いました。

 普段、講演が終わると私はパーキンソン症候群の妻の夕食の材料を買い出して自宅に戻るのですが、その日は会場の出口で正木さんと友人に呼びとめられました。

 正木さんは、両親の介護を40年近く続けました。彼女が25歳の頃、まず父親が脳梗塞(こうそく)で半身不随となり、彼女は一家の家計を支えるべくフルタイムで事務の仕事を終えたあと、夕刻に自宅に戻ると、母親とともに父を介護する日々を続けました。

 彼女はひとりっ子です。親戚との付き合いもありません。当時は介護保険などなく、「介護は家族が責任を持ってするべきだ」といった考え方が主流で、誰にも助けてもらえませんでした。

 脳梗塞が再発した父が亡くなり、10年余りの介護が終わった途端、急激な介護ストレスの緩和がいけなかったのか、母親が「うつ」になりました。「荷下ろしうつ病」です。

 そのうちに物忘れも表面化して、大学病院から「うつ病の後に起こる認知症」と診断され、その後、20年にわたる母親の介護が始まりました。

 正木さんには、田中京子さん(仮名)という隣に住む小学校時代から無二の親友がいます。

 田中さんは結婚後、実家から離れていましたが、夫をがんで見送り、寝たきりの母親を介護するため実家に戻り、母親を見送りました。

 正木さんの介護の日々は、田中さんが友人として、また、病気の違いこそあれ、同じ介護者としてアドバイスをくれ、正木さんの日々のケアストレスを受け止めてくれた、田中さんの傾聴で支えられました。彼女の存在こそ正木さんにとって介護の日々を過ごすための「ともしび」だったと言えるでしょう。

正木さんの物忘れが始まった

 そんな正木さんが64歳にな…

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    小林恭子
    (在英ジャーナリスト)
    2024年2月27日16時23分 投稿
    【視点】

    元気づけられるような記事でした。 当方は60代に入っていますが、親が80代後半で、物忘れが出てきました。でも一緒に住んでいないので、特にケアをするという生活はしてきませんでした。 ところが、80代に入ったばかりで認知症も少し出て

    …続きを読む