「源氏物語」はこの地で書いた? 紫式部邸跡にある京都・廬山寺とは

筒井次郎
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 「源氏物語」は、どんな場所で書かれたのか。その思いに浸れるのが廬山寺(ろざんじ、京都市上京区)だ。千年前の紫式部の邸宅跡とされる地に立つ。雅(みやび)な雰囲気の本堂。それに対し、元三大師堂(がんざんだいしどう)は薄暗く厳かだ。二つの異なる世界が隣り合う。

 「紫式部が執筆した部屋はどこですか」。そんな質問を、寺執事長の町田亨宣(こうせん)さん(45)はよく受けるという。答えはこうだ。「江戸時代の再建なので、残念ながら現存しません」

 とはいえ、寺の歴史を振り返ると、気品を感じるのは無理もなさそうだ。

 創建は10世紀。紫式部が活躍する数十年前だ。当時の境内は3キロ北西、金閣寺に近い船岡山の南麓(なんろく)にあった。現在の地に移ったのは豊臣秀吉の時代。応仁の乱以降荒廃していた京都の大改造で、洛中の寺院が現在の寺町通沿いに集められた。江戸時代に相次いだ大火でお堂は全焼し、現在の本堂は1794(寛政6)年、光格天皇の仙洞御所の一部が移築された。皇室の仏事を行うなど縁が深かったそうだ。

 そんな廬山寺だが、実は紫式部と結びついたのは戦後のこと。古代史の大家、角田文衛(つのだぶんえい、2008年没)による考証で判明した。紫式部の曽祖父・藤原兼輔(かねすけ)邸があったことや室町時代の源氏物語の注釈書「河海抄(かかいしょう)」の記述が根拠となった。

 1965年に顕彰碑が建てられ、源氏物語の世界観を表した「源氏庭(げんじてい)」が築かれた。平安絵巻の雲の形をかたどった緑の苔(こけ)と白い砂。祇園祭(7月)の時期になると、紫色の桔梗(ききょう)が彩りを添える。

 堂内には源氏絵の掛け軸や屛風(びょうぶ)など、寺が収集した源氏物語ゆかりの資料が展示されている。町田さんは「紫式部も同じ場所で同じ空を見たでしょう。そんなことを感じてもらえたら」と話す。

 廊下伝いに隣の元三大師堂に入ると、空気は一変する。堂内に入る光は少なく、厳粛さが漂う。寺を創建した良源(元三大師)の月命日である毎月3日には、護摩を焚(た)く法要が営まれている。

 流木で作られた厨子(ずし)の中に、小さな3体の仏像がある。戦国武将明智光秀の念持仏(ねんじぶつ、身辺に置く仏像)と伝わる。織田信長比叡山焼き打ちの後、廬山寺もその対象としたが、天皇が光秀に「廬山寺は勅願所で、戒律を守る寺」と書状を送ったことで救われたという。こうした縁もあり、本能寺の変の前に預けられたそうだ。

 伝承では、戦になると光秀は3体のうち地蔵菩薩(ぼさつ)像を陣中に持っていった。「地蔵菩薩は民を救う仏さま。人柄が感じられます」と町田さん。元三大師堂は、1、2、9月の3日と特別公開の時のみ拝観できる。

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 廬山寺は「春の京都非公開文化財特別公開」(京都古文化保存協会主催、多くは4月27日~5月12日)に参加する。町田さんや協会の茂(しげる)貴広さん、朝日新聞大阪本社文化部の筒井次郎記者によるトークイベント「つなぐものがたり 紫式部と廬山寺~春の特別公開によせて」(朝日新聞社主催)が3月22日午後7時、大阪・中之島の朝日新聞大阪本社12階アサコムホールで開かれる。参加無料。参加者には寺の通常拝観券と特別公開の招待券各1枚をプレゼント。応募サイト(https://que.digital.asahi.com/question/11012817別ウインドウで開きます)はQRコードからも入れる。3月2日締め切り。(筒井次郎)

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