7歳の時に阪神・淡路大震災で弟2人を失った神戸市の男性(36)が、能登半島地震で被災した子どもたちに思いを寄せている。男性は29年前の被災後、家族と離ればなれになって避難所で過ごしたといい、「まわりの大人が子どもたちを安心させて欲しい」と話す。
男性は、神戸市長田区の飲食店経営、柴田大輔さん(36)。小学1年生の時に起きた阪神大震災で自宅アパートが倒壊。家族5人全員が下敷きになった。駆けつけた親族が大輔さんを救出。その後に、両親も救助されたが、弟の宏亮(ひろあき)さん(当時3)と知幸(ともゆき)さん(当時1)が犠牲になった。
周辺で大規模な火災が起きていたため、大輔さんは両親が救助される前に近所の人と避難所に移った。携帯電話が普及していない時代。父親が大輔さんがいる避難所を見つけ出して再会できたのは、地震の1週間後だった。
「両親が助かったかどうかもわからず、体育館は寒くて空腹。余震は恐怖だった」と振り返る。
そんな時、声を掛けてくれたのが周囲の大人たちだったという。「『地震が来とうけど、大丈夫やで』とずっと声をかけ続けてもらい、それで気持ちを保っていた」
自身の経験を踏まえ、能登半島地震で被災した子どもたちに心を寄せた。「余震も続いて、すごく恐怖がある時期だと思う。まわりの大人が声をかけてあげたら、子どもたちは安心できるかもしれない」(長富由希子)
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