第3回子どもは絶対3人欲しいと願った 母と妹たちへ、残された姉の29年
日本では、いつどこで大地震が起きるかわからない。能登半島地震の被害全容は今も明らかになっていない。首都直下地震は今後30年以内に70%の確率で起こるとされる。どうすれば被害を減らせるのか。都市部が襲われ、6434人が犠牲となった1995年の阪神・淡路大震災の遺族や消防士、専門家のメッセージを伝える。
山下規子(のりこ)さん(48、当時19)は、にぎやかな3姉妹の長女だった。
二つ下の妹は高校2年の美紀さん(当時17)。人の悪口を言わず、友達がたくさんいた。
末っ子の由佳さん(当時15)は中学3年になっても、「ねんねしーや」と小さい子どもみたいに母(当時43)から話しかけられていた。
母が病気だったため、家事は3姉妹で分担。ケンカもするけれど、3人で助け合って生きていた。
あの震災を経験して、規子さんは強く願うようになった。「子どもは絶対、3人欲しい」
地震が起きた瞬間、神戸市長田区の自宅2階で眠っていた。
ドォーンという衝撃が、最初は夢の中でのことか、現実だったのかわからなかった。
「お母さん」。そう思って、両親の部屋に続く戸を開けると、何もなくて路上が見えた。
隣にあるはずの部屋が2階から崩れ落ち、自分以外の家族5人が下敷きになっていた。
1995年1月17日の阪神・淡路大震災。発生は午前5時46分。外はまだ真っ暗だった。
「下りてこーい」。近所の人に呼ばれ、横倒しになった自宅の壁の上をつたって路上に下りた。父と祖母は出られたが、母と美紀さんと由佳さんの計3人は倒壊家屋の下に残されたままだ。
地震直後に約10軒先が出火。近所の人と救助作業をする間も、火がこちらに迫ってきた。
記事には、阪神・淡路大震災の遺族や消防士らの証言を元に、被災状況を再現した詳細な描写が含まれます。
「規子姉ちゃん、助けて―」…
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- 【視点】
29年経とうが、30年経とうが、悲しいものは悲しい。
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1.17 再現/阪神・淡路大震災
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