父が残した車、手放せなかった日々 16年分のありがとう、今なら

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岩田誠司
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 お別れの日の朝、大友麻衣さん(29)がまず向かったのは、コイン洗車場だった。

 この日のために仙台市の実家から来てもらった母親の弘子さん(64)を助手席に乗せて、ハンドルを握る。

 晴れ上がった宮崎の9月の空はいつものように広く、ふるさとに少し似てるな、と思う。

 車のフロアマットをはたき、ダッシュボードから窓、そして車体へとぞうきんをかける。物入れを片付けていると、車検証が出てきた。

 記されていた住所は仙台市若林区荒浜。高校1年まで、ここに住んでいた。

 家のそばの松林を抜けた先は海水浴場で、夏になると両親は海の家を営んでいた。午前中は海で遊び、昼ご飯を食べた後は、弟と一緒に焼きそばを焼いたり、飲み物を運んだりと店を手伝った。

 父の喜一さんは車好きで、同じタイプのトヨタクラウンを乗り継いで暇さえあれば洗車していた。それなのに、麻衣さんが中学校に入学してまもないころ、車高が高く荷室が広いホンダモビリオスパイクに買い替えた。自転車通学を始めた麻衣さんを自転車ごと送り迎えできるように選んだと後で聞いた。

 2011年3月11日、東日本大震災の日。大津波警報が発令される中、母の運転で祖母と3人、この車で高台へ逃げた。

 父も仕事用のトラックでいっ…

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