形見の弁当箱「米兵への侮辱」 28年前、展示中止された館長の無念

有料記事核といのちを考える

聞き手 編集委員・塩倉裕
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 広島・長崎の原爆「被害」を伝える資料の展示を、米国立スミソニアン航空宇宙博物館(ワシントン)がいま計画している。「太平洋戦争を戦った米兵への侮辱だ」とする米国内世論の反発を受け、28年前に一度は挫折した企画だ。あのとき、広島平和記念資料館の館長だった原田浩さん(84)は、有名な「黒こげになった弁当箱」を米国へ貸し出すために尽力した。しかし息子を原爆に奪われた母親は当初、「米国が憎い」と貸し出しを拒んだという。米国と日本は原爆投下の歴史を共有できるのだろうか。原田さんが証言する。

米スミソニアン博物館「被爆資料を貸してほしい」

 ――米国立スミソニアン航空宇宙博物館が2025年の展示刷新に合わせて原爆投下後の広島と長崎の街を写した写真の展示を新たに計画し、話題になっています。同博物館は1995年にも原爆の被害状況を示す資料の展示を企画しましたが、米国内からの反発に遭って中止に追い込まれました。原田さんはあのとき、広島平和記念資料館(原爆資料館)の館長だったのですね。

 「そうです。1993年の4月に、スミソニアン航空宇宙博物館のマーティン・ハーウィット館長(当時)が広島に来て、『原爆に関する被爆資料を貸与してほしい』と要請してきました。私が資料館の館長に就任した直後のことでした」

 ――どう感じましたか。

 「原爆の被害を伝える資料を博物館で展示したいとハーウィット館長は語りました。米国側の視点だけで戦後50年展を構成してしまったら公正な歴史判断は生まれないと考えていたのでしょう。しかし私は、首都ワシントンにある米国立の施設で被爆の悲惨さを伝える資料を展示することなど本当にできるのかと疑念を抱きました」

 「米国社会では原爆投下が『戦争終結を早め、多くの米兵の命を救った』ものとして正当化されていることを私は知っていました。また計画では、広島に原爆を落としたB29爆撃機『エノラ・ゲイ』の機体も併せて展示されることになっていました。原爆という兵器が持つ威力のすごさを誇示するための添え物として被爆資料を利用させてはならないと、私は強く警戒しました」

 ――その思いを館長にどう伝えたのですか。

 「私はハーウィット館長の本気度を知りたくて、『本当に広島の思いを展示したいと言うならば、あなたは8月6日の平和記念式典のときに再度広島へ来るべきだ』と言いました。4カ月後の8月に、館長は家族を連れて再び広島に来ました」

 「私は彼を原爆供養塔に連れていきたいと考えました。身元のわからない被爆死者の遺骨を7万柱も集めて供養している場所です。塔の前でこうべを垂れるハーウィット館長の真摯(しんし)さを見たときに私は、もしかしたらこの人は広島の思いを米国民に伝えてくれるかもしれないと感じました」

黒こげの弁当箱、息子を失った母の思いは

 ――広島市は博物館の展示計画に協力する方針を決め、被爆資料を貸し出すための準備を始めました。貸し出し資料リストの中には、有名な、真っ黒に焼けこげた弁当箱も含まれていました。

 「広島の思いをきちんと伝え…

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