必死の医療者と「気の緩んだ」市民 繰り返された対比が見逃したもの
連載「コロナ禍と出会い直す 磯野真穂の人類学ノート」(第23回)
前回まで
今年、とある離島にある二つの介護施設で起こったクラスター。ケアマネージャー・本宮、非常勤看護師・児島、施設職員・横井、診療所の医師・福島(いずれも仮名)の語りを元に、その経過をつづる。わずかながらもあった、クラスターの現場への支援とニーズとのミスマッチや、「人間関係のゆがみ」にも言及した。
連載第4回では、前例がないため濃厚接触者の証明書は出せないと答える保健所のエピソードを紹介した。これは、通常業務から少しでも外れた仕事をすることに対する、組織構成員のためらいや恐れの表れであろう。
いうまでもなくこれは、クラスター時に積極的な増員策を打たないという組織管理者の姿勢と重なる。
島の診療所の所長として4年間働いた福島は、行政組織や社会福祉法人の柔軟性のなさを、コロナが島に上陸する前から至るところで感じていた。
「これまで通り」が好まれる
例えば福島は、島の子どもの熱中症が発生した場合などのやりとりを学校教員とスムーズに行うため、自分と教員を含めたLINEグループの運用を試みたことがあった。
しかしこのグループは機能せずに終わってしまう。その理由は、グループにいる教員たちが「やっぱり校長から連絡をいかせます」といった形で、これまで通りの運用を好んだからだ。
校長を介すと連絡経路は煩雑になるし、かつ時間もかかる。これを改善するため作ったLINEグループであったのだが、この程度の変化も拒まれてしまったのだ。
また学校でコロナが発生した際の対応も妙であった。例えばこの島の場合、児童のPCR検査は診療所が行っているため、どの児童が陽性になったかを所長の福島は当然知っている。
しかしそれでもなお、「本日…
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- 【視点】
自戒を込めて、改めて肝に銘じます。「気の緩み」。大きなリスクをはらんだ言葉だと感じます。 以前もコメントプラスで書いたのですが、私が現場でスポーツ記者をしていた時、勝負のあや、試合の敗因を「気の緩み」に求めてしまうことがありました。そ
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