元サッカー日本代表の山口素弘さん(54)が1997年に国立競技場での対韓国戦で決めたループ・シュートは、今でも日本代表の「伝説のゴール」として語り継がれている。翌々年にあたる99年、山口さんが主将を務めたJリーグの横浜フリューゲルスは元日に天皇杯で優勝を果たすとともに「消滅」するという伝説を残したが、その舞台もまた国立競技場だった。
日本サッカーの「聖地」。そこで生まれた二つの伝説について、山口さんに聞いた。
「異常な雰囲気だった」 W杯アジア最終予選の対韓国戦
――サッカー日本代表の「伝説のゴール」と称賛されているループシュートを決めたのは、今から26年前の1997年9月28日でしたね。試合はサッカーW杯・最終予選の対韓国戦で、会場は「サッカーの聖地」と呼ばれている東京の国立競技場でした。
「あの日の国立競技場は異常な雰囲気に包まれていました。当時は日韓戦というだけでも強い緊張感が漂ったのですが、あのときの予選では日本と韓国が同じ組に入っていたので、余計にそうなったのだと思います」
――ピッチから見た当日の国立競技場の光景で印象に残っていることは何ですか。
「たくさんの日の丸の旗が、よく見えたことです。そこは『あの場に立ちたい』と僕がずっと願ってきた舞台でした。日本代表として日の丸を背負い、悲願だったW杯出場への扉を開くために戦う場所です。周りには、韓国という大きな壁を乗り越えなければW杯出場はできないぞ、という空気がありました」
――試合は後半22分、山口さんのゴールで日本が先制しました。「伝説のループ」とも呼ばれる意外性にあふれたループシュートで、テレビで見ていて驚嘆したことを覚えています。あのときループで打とうと決めたのは、どのタイミングだったのですか。
「ループシュートを打つという選択は、ドリブルで相手ペナルティーエリアに入り込んだ瞬間にはもう決めていました」
――そうだったのですか。あの攻撃は、左サイドにいた相馬直樹選手からのパスが相手MFに渡ってしまい、そのボールをそばにいた山口さんが奪い返したことから始まったのですよね。山口さんの目の前にどういう状況があってどのような判断をしたのか、振り返ってもらえませんか。
「相馬選手からのパスをカットしたのは韓国のMF、コ・ジョンウン選手でした。彼は当時Jリーグのセレッソ大阪でプレーしていたので、彼のプレーのクセは僕の頭に中に入っていました。相手からプレッシャーをかけられると、ボールを右わきに置きたがるのです。実際、体を寄せたら、うまく奪うことができました」
――そのとき相手ペナルティーエリアまでには、まだ少し距離がありましたよね。どういう選択肢が見えていたのでしょう。
前方にはカズと呂比須 見えた「キーパーの位置」
「僕がボールを奪ったとき…
【締め切り迫る】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら
- 【視点】
「もう一度やれって言われてもできないような、スーパーゴール」 名波浩さんの「伝説のループ」の述懐です。山口素弘さんと名波さん、あの日本代表の中盤を支えた2人です。あの代表の中盤といえば中田英寿さんのインパクトが強烈ですが、若くトンがっ
…続きを読む