戊辰戦争で落命した長州人ら、今年も法要 安倍昭恵氏が顕彰会長に

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松下秀雄
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 戊辰戦争などで命を落とした山口県の人たちの功績をたたえる「明治維新防長殉難者顕彰会」による法要と総会が29日、京都市で開かれた。県出身の和尚が戦没者の法要を続けていた縁で、130年近く前に始まった歴史ある会だ。首相や閣僚経験者らが歴代会長を務め、直近では故・安倍晋三元首相が就いていたが、後任に妻の安倍昭恵氏が選出された。

 「顕彰会」の前身は1895(明治28)年ごろ設立された「退耕庵維持会」。退耕庵は、戊辰戦争の初戦となった鳥羽伏見の戦いで、長州藩が本陣を置いた東福寺京都市東山区)の塔頭(たっちゅう)だ。

 顕彰会によると、退耕庵の26世、五十部祐道和尚は山口県吉敷郡陶村(現在は山口市)出身で、みずから托鉢(たくはつ)して得た浄財で戦没者らの法要を続けていた。戊辰戦争に従軍し、第1次松方内閣の内相などを務めた品川弥二郎氏がそのことを知って、退耕庵維持会を設立。初代会長に就いた。

 顕彰会を名乗るようになったのは1955年。当時の会長は、吉田松陰を大叔父にもち、大阪商工会議所会頭などを務めた杉道助氏だ。歴代会長には品川氏や杉氏、安倍氏のほか、寺内正毅、岸信介両元首相、田中龍夫元知事・文相、林義郎元蔵相が就いており、昭恵氏は8代目となる。

 昭恵氏は総会でのあいさつで、自身が引き継ぐことについて「私には少し荷が重いと一度はお断りしたけれど、少しでもお役に立てればとお引き受けした。主人が亡くなったあと、大東亜戦争全戦没者慰霊団体協議会の会長もお引き受けした。常々、主人が『英霊とともに自分は仕事をしている』というようなことを言っていたので、主人の魂と一緒に英霊を弔うことがこれからの私の務めと思っている」と述べた。

 総会に先立つ法要は退耕庵の「戊辰殿」で執りおこなわれ、県出身者ら約50人が参列した。退耕庵の近くにある長州藩士らの墓所にも参拝した。

 顕彰会幹事の松本雅裕さん(…

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