「人類絶滅はない」 ノーベル賞学者が語るネアンデルタール人との差

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小林哲
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 ネアンデルタール人遺伝情報の解読に成功し、2022年にノーベル生理学・医学賞を受けた独マックス・プランク進化人類学研究所のスバンテ・ペーボ教授が来日し、1日に京都市内で講演した。DNA解析から見えてきた古代人の姿や、現代人にも受け継がれている遺伝子の特徴、さらに絶滅した人類を見つめてきた視点から私たちの未来についても語った。

 ペーボ氏は、科学技術政策をテーマに各国から科学者や政治家、企業家、官僚らが参加する国際会議「科学技術と人類の未来に関する国際フォーラム」(STSフォーラム)の年次総会で講演した。

 20年以上前から、当時は不可能とも思われていたネアンデルタール人のゲノム解読に挑んできた理由について、ペーボ氏は、私たち自身への理解につながる点を強調した。

 「人類の進化において私たちの一番近いところにいるのがネアンデルタール人です。私たち人類が何者なのか定義づけるには、生物学的にも遺伝学的にもネアンデルタール人を見るということが非常に大切になる。どこが似ているのか、どこが違っているのか、両者を比較することが重要なのです」

 ネアンデルタール人は4万年ほど前までに地上から姿を消した。古くて化石のようになった骨からDNAの断片を取り出し、現代人のゲノムを参考に再構築していく。その際、試料に微生物などのDNAが紛れ込んでいると正しい情報が得られないため、研究にはとても労力がかかる。DNAを解読する高性能の装置「次世代シークエンサー」の登場や分析手法の進歩で古代人ゲノムの解読に道を開いた。

テクノロジーが不可能を可能に

 「生物学の研究全般に言えることですが、テクノロジーによって決まるところが多い。新しい技術を採り入れて、いま持っている疑問に答えを見つけ出そうという姿勢がカギになります」

 「まだ新しい段階にある技術はそれほどスマートではありません。それを用いてこれまで答えが出ていなかった問題に答えを見つけていくわけですから、もちろん運も味方してくれる必要があります。研究のタイミングであるとか、新しい装置を使える適所にいるかどうかも効いてきます」

 ペーボ氏によると、現時点で3人分の品質の高いネアンデルタール人のゲノム情報が得られている。現代人のゲノムと比べることで、私たちの祖先が過去のある時期にネアンデルタール人と交配していたことが判明しただけでなく、複数にわたる複雑な交配の過程も少しずつ明らかになりつつある。現代人に受け継がれているネアンデルタール人由来のDNA断片をすべて集めると、およそ40%が今も私たち人類の体に残っていることもわかった。また、シベリアで見つかった小さな指の骨からは、ネアンデルタール人に近いが別の種であるデニソワ人がいたことも判明した。いずれも人類の進化史を書き換える発見だ。

 ペーボ氏によると、私たちが受け継いでいるネアンデルタール人の遺伝子の中には、具体的な働きがわかっているものもある。例えば、女性の排卵や着床の制御に関わるあるたんぱく質の遺伝子は、ネアンデルタール人由来の変異があると早産になりやすい半面、流産を予防する効果があるという。その結果、この遺伝子変異をもつ女性は、自然な状態ではより多くの子どもを産めるようになるとみられる。ほかにも、頭痛薬などに含まれる鎮痛成分イブプロフェンの効きやすさに関係する遺伝子や、新型コロナウイルスの症状に関係するとされる遺伝子にもネアンデルタール人由来の変異が見つかっているという。

80億人に増えた人類との違いは

 ネアンデルタール人は現生人類の祖先との間に子どもをつくり、遺伝子を残したものの、種としては絶滅した。一方、私たち人類は文明を発展させ、地球上にはいま80億人ものホモ・サピエンスが繁栄している。両者の違いを分けたものはなんだったのか。

 「私たちが新しいものを開発するスピードには特殊な力があるのではないか。ネアンデルタール人の道具は40万年前のものも50万年前のものも、私には大した違いがあるようには思えません。ところが、私たちの技術はこの10万年くらいで大きな変化がありました」

 「現代人はより多くの人口、より多くの集団を維持することで、頭がいい個人に頼るのではなく、社会としてイノベーションの知識を継承していくことができます。こうした背景には、何か行動認知的な特色があるのではないかと考えています」

 ペーボ氏は客員教授を兼務している沖縄科学技術大学院大学(OIST)で、ネアンデルタール人にはなくて私たちホモ・サピエンスにある遺伝子を特定し、その働きを細胞レベルで調べる研究を続けている。iPS細胞などを使って現代人とネアンデルタール人の違いを分けたとみられる脳の成長や働きに関わる遺伝子を調べることで、私たちを私たちたらしめる要素に迫ろうとしている。

現代人も絶滅は避けられないのか?

 講演では、現代人が直面する危機についても話題になった。「私たち人類も過去のヒト科のように永続的な存在ではないのではないか」。気候変動生物多様性の喪失、AIなどの新しい技術の登場を念頭に司会者がこう問いかけたのに対し、ペーボ氏は次のように答えた。

 「個人的な考えですが、私は楽観的です。たしかに気候変動や生物多様性の喪失は非常に大きな課題です。多くの調整が必要になるし、乗り越えるには社会に大混乱が起こると思います。ただ、長期的に見た場合に人類が絶滅するとは思っていません。例えば、2万年前、氷河時代には北米は分厚い氷に覆われていました。それでも人類は生き延びてきた。社会的、文化的、政治的には大きな問題になりますが、それで人類が絶滅するとは思いません」

 「たとえ核戦争が起こったとしても地球全体で見ると、すぐに人類絶滅につながるようなリスクではないと考えています。(新しい技術が)将来的に絶滅のリスクになりうるかどうかについては、私にはそこまでの洞察はありません」

 さらに、ネアンデルタール人が絶滅したことについて、改めてこう指摘した。

 「私たちが成功してきたというのは定義次第だと思います。私はネアンデルタール人の方が現代人よりも成功してきたと思いますね。というのは、ネアンデルタール人の方が地上に存在した期間がずっと長いわけですから。人数の上では私たちの方が多くなりましたけれど、それが本当に成功なのでしょうか。成功であると同時に問題も引き起こしてきたじゃないですか」小林哲

後半では、科学者になろうと思った理由や若者へのアドバイス、趣味の座禅についても聞きました。

 スバンテ・ペーボ教授は講演…

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