医療人類学が映す「私たちの身体」 数字だけで計れない、三つの視点
連載「コロナ禍と出会い直す 磯野真穂の人類学ノート」(第14回)
身体とはなんだろう?
身体は私たちにとってあまりにも自明な存在であるため、改めて聞かれると答えにくい。しかしコロナをめぐる政府、自治体、報道機関、さらには専門家からの情報発信を検証するにあたり、大量に発せられた言葉(「不要不急」「新しい生活様式」「県をまたぐ移動の自粛の要請」など)の後ろにある身体の前提を探ることは重要だ。
なぜならそれを発見することで、積極的な情報発信を担った組織や個人が身体をどのように捉え、何に価値を置き、言葉を発していたかが明らかになるからである。
この問いに答えるため1987年に米国で創刊された医療人類学の専門雑誌「Medical Anthropology Quarterly」の創刊号・巻頭論文を参照したい。
紹介したいのは本論文で展開される三つの身体に関する議論である。
著者であるシーパーヒューズ(Nancy Scheper-Hughes)とマーガレット・ロック(Margaret M. Lock)は、身体を「個人的身体」「社会的身体」「政治的身体」に分けて解説した。
この三つの身体について、複数回にわけて解説と論考をつづっていく。
医学・疫学の身体は「集合体」
結論を先に述べると、本論文は、コロナ禍の情報発信が、「医学や疫学に基づく身体理解を自明視し、それ以外の身体理解がないがしろになっていたこと」を明らかにする。
医学・疫学に基づく身体理解…
- 【視点】
3つの身体に分けたこの考え方はとても興味深い。「身体の感じられ方、理解のされ方、語られ方」としての個人的身体が、コロナ禍においていかに侵食されてきたか。思い出すのも憚られるほど私は窮屈に感じていた。いわゆる同調圧力の高まりで、心身ともに萎縮
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