SEALDs叩き 声あげるのに中傷覚悟という不条理 三牧聖子さん

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聞き手・伊木緑
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国際政治学者 三牧聖子さんインタビュー

 SEALDs(シールズ)のメンバーに対しては安保法制が議論されていた当時、激しい人格攻撃があったと聞きます。民主主義国である以上、SEALDsが掲げた主張に対する政策面での反論なら大いにするべきですが、誹謗(ひぼう)中傷で口をふさぐことはもってのほかです。

 ネット上の言論も近年、意見に対する批判や反論ではなく人格攻撃が目立ちます。その様を見ると、どうしても人間は、ハレーションを避ける表現を選ぶようになります。権威主義国のような明確な言論統制こそなくとも、「忖度(そんたく)」や「自主検閲」によって日本の言論空間も相当後退しているのではないでしょうか。声をあげるならば、中傷されるのを覚悟しろ――。そんな不当な覚悟を迫られている現状があります。

 若者は無知である、現実を知らないからラジカルな変革を夢想するのだ、という前提に立った批判も不当です。そもそも、若者の方が「現実」を知らないというのは正しいのでしょうか。

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    遠藤乾
    (東京大学大学院法学政治学研究科教授)
    2023年8月24日11時0分 投稿
    【視点】

    かみしめたい⇒「自分と意見が異なる人であっても、それが平和的な抗議行動である限り、声をあげる権利だけは全力で守る。それが民主主義国としての矜持」。  狭義の「専門家」でないと、声を上げても「分かっていない」と言われる。議論を交わす際に、ど

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