荒井広幸氏と亀井静香氏 たたき上げ2人の安倍晋三氏の死への思い

有料記事安倍元首相なき後 激動の山口

山口総局長・松下秀雄
[PR]

 昨年7月、銃撃を受けて死去した安倍晋三元首相。自身とタイプの異なる「たたき上げ」の政治家とも親しい関係にあった。荒井広幸氏(65)と、亀井静香氏(86)だ。2人は安倍氏とどんな関係だったのか。いま、何を思うのか。

 「俺、テレビも雑誌も新聞も、ほとんど受けてこなかったんだよ」

 取材を始めようとした時、荒井広幸氏はそういった。安倍晋三元首相の死去後、親友である荒井氏に取材依頼が相次いだ。けれど、受ける気分になれなかったという。眠れない日々が続き、心配した家族が入れ代わり立ち代わり、様子をみにくるような状態だったからだ。

 一方で、安倍氏の足跡を伝えたいという思いも抱いている。死去1年を機に、重かった口を開き、取材に応じてくれた。

「親分」「荒井ちゃん」と呼ぶ2人 親密さのわけは

 荒井氏と安倍氏は1993年の衆院選で初当選を果たした同期。「親分」「荒井ちゃん」と呼び合う仲だった。郵政民営化法案に反対票を投じて自民党を除名されたものの、党外から安倍氏を支え、安倍内閣の内閣官房参与にも就いた。

 銃撃事件のあった昨年7月8日は安倍邸に駆けつけ、安倍氏の母、洋子さんを見守った。そこに、病院にいた安倍氏の妻、昭恵さんから電話が入る。「亡くなりました」という知らせだった。

 2人の縁は、なぜか病院で結ばれている。

 初めて会ったのは安倍氏の父、晋太郎氏が入院する病院だった。若くして政治を志した荒井氏は、早稲田大学4年の時、山口県下関市(当時は菊川町)出身の徳永正利参院議長の公設秘書になる。その後、徳永氏と晋太郎氏は同じ病院に入院。見舞いにきた荒井氏はそこで安倍氏と出会う。

 荒井氏は、90年の衆院選立候補に向けて晋太郎氏の自宅を訪ねてもいる。「安倍派に加え、党として公認してください」と頼む荒井氏に、晋太郎氏は「今回は難しいが、次は応援する。三塚(博・元自民党幹事長)君によく相談しておいてくれ」。

 91年、晋太郎氏は死去。「次は応援する」と告げられた安倍邸の隣の部屋で、荒井氏は棺(ひつぎ)と対面する。それでも93年には三塚派(旧安倍派)に属し、自民党公認を得て旧福島2区で初当選を果たす。荒井氏は「俺を認めてくれた」と晋太郎氏に恩義を感じている。

 息子である安倍氏との絆が深まるきっかけは、病室に呼ばれたことだった。

 97年ごろ、秘密で入院して…

この記事は有料記事です。残り2315文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【締め切り迫る】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら