タイの大学生が日本の被爆者の体験集を翻訳 初めて知り驚いたことは

伊藤繭莉
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 タイ国内では原爆の悲惨さがあまり知られていない。タイの大学生たちが日本の被爆者の体験集をタイ語に翻訳して本にまとめ、7月にオンラインで公開した。翻訳にあたり、千葉県内在住の被爆者から直接話を聞く機会も得た。黒こげの遺体の光景や黒い雨の存在などを初めて知り、驚くことばかりだった。(伊藤繭莉)

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 取り組んだのは、タイ国立シーナカリンウィロート大学人文学部の日本語専攻の学生や、日本人留学生の計43人。福島県相双地域に住む被爆者ら21人の体験集と、日本原水爆被害者団体協議会日本被団協)編集のブックレット「被爆者からあなたに いま伝えたいこと」の一部を、タイ語に翻訳した。

 同大学では10年ほど前から、授業内で翻訳プロジェクトを実施している。今年の翻訳のテーマは、授業を担当するパットオン・ピパタナクル助教授(50)のたっての希望で実現した。

 パットオンさんの夫は日本人で、福島県南相馬市出身。パットオンさんは東日本大震災後に被災地を訪れ、東京電力福島第一原発事故による避難者から話を聞いた。その後も被災者と交流を続ける中で、福島には、原爆と原発事故で2回、原子力により被災した人がいることを知る。悲しかった。戦時中の原爆に関する本を翻訳したいと思うようになったという。

 そうやって実現した今回の翻訳作業は、関わった学生らにも大きな影響を与えた。本格的な翻訳作業に入る前に、原爆のことを深く知るため、学生たちはオンラインで、千葉県に住む児玉三智子さん(85)=日本被団協事務局次長=の被爆体験を聞く機会があった。

 7歳の時に広島市内の国民学校で被爆し、飛び散ったガラス片が肩や腕に突き刺さったこと。父親におぶわれて帰宅中、飛び出した内臓を抱える人や真っ黒な赤子を抱えた人らを見たこと。大好きな、いとこのお姉ちゃんが自分の腕の中で亡くなったこと――。

 初めて聞く話に、学生たちは泣きながら「驚いた」「初めて知った」などと次々と感想を述べたという。

 4年のプーカーン・チューデーチャーさん(21)は、「学校の歴史で原爆を勉強したが、黒こげの遺体や黒い雨のことは知らなかった。話が終わった後も悲しくて涙が出た」という。

 「原爆」「核兵器」といった単語の漢字を読めない学生もいたが、事前に用語や日本の歴史を学習。4、5人のグループごとに翻訳部分を分担し、約3カ月かけて、授業以外の時間も作業した。150ページにわたる大作となった。

 4年の女子学生(22)は後遺症の難解な医療用語の翻訳に苦戦した。「症状が出る時期は人によって違うし、様々な後遺症があるとは知らなかった」と語る。翻訳を終え、「地獄のような光景が二度と起こらないように、と強く思った」。

 将来、学校の教師になるのが夢だというプーカーンさんは、「生徒に戦争のことを伝えたい」という。

 予算が限られるため、本は70冊のみ印刷した。全訳は7月に大学のデータベースに公開し、外部からもオンラインで閲覧できる。パットオンさんは「タイでは、原爆の本があまりない。多くの人に読んでもらいたい」と話している。

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