プーチン氏が真に恐れたものとは 遠藤乾東大教授が読み解く侵攻の謎

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論説委員・国末憲人
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 ロシアはなぜ、ウクライナに侵攻したのか。欧米の動きをプーチン大統領はどう受け止め、どう反応したのか。いまだ謎が多いその背景を、東京大学の遠藤乾教授(国際政治学)に読み解いてもらいました。

 ――ロシアがウクライナ侵攻に踏み切った背景には、北大西洋条約機構(NATO)の加盟国拡大があると、しばしば言われます。

 それは、プーチン大統領がつくったそのようなストーリーに引きずられているからだと思います。大切なのは、プーチン氏の意識と、実際の戦争の原因とを、分けて考えることです。前者については、間違いなくNATO拡大が影響しています。プーチン氏の人生は、敵たるNATOとの闘いにあったのですから。後者については、「だから西側にも責任がある」という人は多いのですが、それが戦争をしていい理由にはなりませんし、それが本当の理由かどうかもわからない。この二つの問いを混同してはなりません。

 プーチン氏の意識を考えると、NATO拡大が彼の頭の中に影響を与えたのは間違いありません。NATO加盟の話が旧東欧から旧ソ連のバルト3国を越え、ウクライナにまできたのですから。ただ、それが戦争の原因となったわけでもありません。

遠藤教授らを迎えたシンポジウム

 遠藤乾教授やフランス国立東洋言語文化学院(INALCO)のギブール・ドラモット教授らを迎えて、特別シンポジウム「ロシア・ウクライナ戦争と、欧州および日本の安全保障」(東大先端研ROLES主催)が、7月27日午後2時から開催されます。会場(東大駒場リサーチキャンパス)、オンラインともに無料ですが、いずれも事前登録が必要。https://roles.rcast.u-tokyo.ac.jp/event/20230713別ウインドウで開きます

 1997年から2004年にかけて、NATOが東方に拡大していく過程で、彼が一貫して反対していたわけではないのです。そこには波があって、00年に大統領に就任した時の彼にはまだ、西欧志向が残っていました。米欧と仲良くしていこうという考えがあった。当時の世界の問題意識は、米9・11テロへの対応で形成されていました。だから彼も、NATOを内心嫌だなとは思っていても、ことさらあげつらうようなことはしなかったのです。旧ソ連である中央アジア諸国への米軍機の駐留も黙認したわけですから。

 ――確かに当時、プーチン氏には欧米に協力する姿勢が顕著でした。

 9・11テロ以後、プーチン氏は米ブッシュ大統領や英ブレア首相と一緒に働く欧米のパートナーでした。それが、00年代の最初の数年で揺らぎました。彼の態度がほぼ決まって見えたのは、07年のミュンヘン安保会議での演説時です。これはNATO再敵視宣言で、聞いていた人々は跳び上がらんばかりに驚いたと言います。ここに至って「二度とだまされないぞ、西側のナラティブ(物語)にはついていかんぞ」という意識が最高点に達している。以後、その路線は基本的に変わっていないように思います。

 そう考えると、「ウクライナがNATOに加盟しようとしたのが侵攻の主因」というのは、平仄(ひょうそく)が合わない。ウクライナの加盟は08年のNATOブカレスト首脳会議でうたわれたのですから。現実主義者を掲げる専門家は「08年が誤りだった」と言いますが、実際にはすでに07年に、プーチン氏は態度を決めていたのです。

 ――08年ではなく07年が…

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