中世の遺稿・長福城の発掘 土塁や遺物が見付かる 栃木県小山市

根岸敦生
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 中世に北関東を支配した下野守護・小山氏の居城の一つ、「長福城」(栃木県小山市八幡町)の発掘が昨年6月から約9カ月間行われた。現地説明会が27日にあり、約100人の見学者が参加した。

 約3700平方メートルにわたる今回の発掘調査で、東西2カ所の土塁が明確になったほか、その下にある溝や穴などから、13~14世紀の製作と推定される土器などが見付かった。

 長福城は「小山五城」(鷲〈わし〉城、祇園城、宿城、岩壺〈いわつぼ〉城、新城)のうち「新城」と推定されていて、場所は祇園城、鷲城の間。両城と同じく思川左岸の河岸段丘の上の八幡町1丁目付近。小山第二中のグラウンドなどがあり、本格的な発掘調査は行われていなかった。今回、民間企業から開発の申請があり、発掘が行われた。

 「小山市史」などでは1380~82年の小山義政の乱に際して「長福城は鷲城と祇園城のつなぎの城として重要な役割を果たした」とみていた。

 今回、溝の底から土塁の上まで約6・5~9メートルの高さがあることや、東と西の土塁の間に堀があったり、杭の跡などから橋が架かっていたりする可能性などが分かった。さらに古い時代の遺構も土塁の下から見付かった。市教委文化振興課は「貴重な遺跡なので、協議を進め、いい方向にもっていきたい」としている。根岸敦生

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