興南(沖縄)の我喜屋優監督が育てた2人のエース左腕が、プロ野球選手になった。2010年の甲子園で春夏連覇に貢献した島袋洋奨(ようすけ)と、17、18年の選手権大会に出場した宮城大弥(ひろや)。育て方には共通点があった。
私は、選手たちの投球フォームを大きくいじったことはありません。彼らの自由度を奪いたくないし、本人にしか分からない感覚があるからです。
選手はロボットではありません。自由に歩かせるからこそ、つまずきます。失敗に気づくことに、野球の楽しさがあります。
島袋は体を大きくひねり、背中を打者へ向けてから投げ込む「トルネード投法」でした。体に負担がかからないように、プレートを大きく踏んでいた足を「少しずらしてみてはどうか」と言ったぐらいです。
一方、投手は肩やひじの負荷が大きいので、無理をさせないように気をつけてきました。島袋は10年の選抜大会前、左肩を痛めたことがありました。治療に専念させ、開幕直前の甲子園での練習は見学させました。
選抜大会で優勝した直後の九州大会でも、肩を守るため、一度も投げさせませんでした。控え投手たちに経験を積ませたことで、夏の優勝につながりました。
宮城は1年の時から、投手としての力が備わっていました。力強い直球と切れのいいスライダーに、マウンド度胸もありました。
フォームについては何もアドバイスしませんでした。「落ちる球を試しに投げてみては?」と言うと、すぐにチェンジアップを覚えました。ただ、3年夏の沖縄大会決勝は、強引に直球で攻め過ぎてしまって延長で敗れ、甲子園出場を逃しました。
彼はオリックスで意識を変え、緩い球も使うことで、プロで成功しています。あの経験を生かしてくれているのだと思います。
島袋さん 「初志貫徹、変えなかった」
島袋さんは高校卒業後、中大に進学し、14年にプロ野球のソフトバンクに入団した。19年に引退後、20年から母校の職員として働き、現在は野球部のコーチをしながら教員免許を取るために勉強している。島袋さんに話を聞いた。
高校時代、我喜屋監督が「頑…