【アーカイブ】大江健三郎が自選集 短編、戦後の精神表現 3・11後に読み返す

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【2014年10月1日朝刊26面】

 小説を書く習慣に鍛えられた力で、人生の困難を乗り越えてきた――ノーベル賞作家の大江健三郎さん(79)が、3・11後に自作短編を読み返し、23作を選んで手を入れた『大江健三郎自選短篇』(岩波文庫)を刊行した。800ページを超え、自ら「定本」と位置付ける。この自己表現からは「戦後の社会像」も浮かび上がってくる。

 大江さんは東日本大震災原発事故の後、「まだ自分の小説に意味があるだろうか」と思い、自作を読み返し始めた。まず短編から。最後に発表してから20余年がたつ。冷静かつ客観的に読めた。「私は『戦後の精神』を表現してきたんじゃないかと目星がついた。今回の刊行の積極的な理由になりました」

 収録作は3期に分けた。初期は1950年代、60年代の8作。22歳のとき、最初の小説「奇妙な仕事」が東京大学新聞に載った。雑誌から執筆依頼があり、徒労感という同じテーマで書き直した新作「死者の奢り」を発表。書き直すことを習慣として積み重ね始めた。「短編なら若くても独特のものが書けるかと、夢中で書いた」

 そして、障害を持った子どもの誕生をきっかけに書いた「空の怪物アグイー」。「短編としてある到達点」と感じる作品だ。今も失われない、言葉遣いや文体のみずみずしさに驚かされる。

 中期は「雨の木(レインツリー)」シリーズなど主に80年代の短編連作から11作を採った。「短編を重ねる形式で物語を複雑にし、豊かなテーマを描こうとしました」。生と死への切実さが、身を切られるような生々しさから、重層的になっていく。

 後期は90年代にかかる4作。「書き慣れた余裕はあるが、短編小説家としての新奇さが衰弱していると感じていた」。長編に専念することに。

内容や語順変更

 若い時から、文章を直すことは、書き加えることだった。「読みにくく難解になるかもしれないが、小説が濃密になると思っていた。しかし、年齢を加えるにつれて、書き加えた分だけ削るのが自然だとわかってきた。そして、文章の呼吸が素直になることを心がけるようになっていった」

 「自選」を編むにあたって、「細部を正確にし、現在の社会に生きている自分と共生する言葉の感覚に直した」。例えば、改行を増やし、句読点の位置や語順を正した。修飾語は多く削った。内容の変更も若干。「奇妙な仕事」の〈私学生〉を〈院生〉に、「他人の足」の少年は19歳から16歳に、など。

 「小説家はただ具体的な人間について書く。それが習慣になって人間の特質を広く深く表現する」。米国の作家フラナリー・オコナーは、仏の哲学者ジャック・マリタンの思想に学び、「生き方の習慣(ハビットオブビーイング)」という言葉でそう定義した。「私という小説家も、積み上げたのはこの習慣。選集を作り、それが生き方の習慣になっていると認めました」

 〈短篇のいちいちから、自分の生きた「時代の精神」が読みとりうることを(しばしば消極的・否定的な表現となっているのではありますが)ねがうようになりました〉――あとがきの一文だ。増刷の際、この「ねがう」を「信じる」と修正した。「もう年だし気弱になることもないと思いましてね。日本の『戦後の世代』の長期にわたる自己表現だし、社会像の提出だとも読みとって頂ければありがたいです」

 高津祐典、編集委員・吉村千彰)

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