伝統のろうそく受け継いだ灯 4年ぶり裸押合大祭、前夜祭で献火式

友永翔大
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 国の重要無形民俗文化財に指定されている「浦佐毘沙門堂の裸押合(おしあい)」の前夜祭が3日、新潟県南魚沼市の普光寺であり、翌日の大祭に向け、奉納された巨大なろうそくに火がともされた。大祭では、上半身裸の男衆が堂内で押し合う中心行事が4年ぶりに行われる。新型コロナ禍で中止されていたこの間も、伝統の灯を絶やすまいと、ろうそくに向き合い続けた職人がいる。(友永翔大)

 裸押合大祭は1200年の歴史があるとされる。最大の見どころは、水で身を清めたさらし、半股引(はんだこ)姿の男衆がお堂に詰めかけ押し合う行事。本尊の毘沙門天が開帳される年に1度の機会に多くの参拝者が集まり、我先にともみ合いになったことが起源と伝わる。2019年を最後に、境内で餅や護符をまく行事とともに中止され、豊作を祈る神事に限って続けられてきた。

 3日の前夜祭では、修行のためにたかれた火を、高さ約120センチ、重さ約60キロのろうそくに移す「献火式」が境内で行われた。続いて、大祭を取り仕切る地元青年団による水行があり、メンバーたちは境内の「うがい鉢」で肩まで水につかって真言を唱えた。

 4日は押し合い行事に先立ち、献火式でともされた火を使って少し小さめのろうそくに点火していく。男衆は高さ約90センチ、重さ約30キロのろうそくを抱え、お堂までを練り歩く。

     ◇

 この日、境内でこうこうと炎を上げるろうそくを見つめ、北村洋成(ようせい)さん(59)は目を細めた。普光寺前に構える「北村蠟燭(ろうそく)店」の5代目としてろうそくづくりを一手に担い、今年も約60本をつくり上げた。

 2月下旬。3カ月ほど前に取りかかった作業は大詰めを迎えていた。献火式用のろうそくの先端に熱した包丁を当てる。ジリジリという音とともに白い煙が上がる。腕に力を込めて薄くそぎ、表面を整えていく。

 18歳で青年団に入った。上下関係は厳しかったが、大祭の準備や本番を通じて様々な人たちとつながりが深まるところに魅力を感じた。団長まで務め、その後も大好きな祭りをそばで見守り続けた。

 転機が訪れたのは2014年4月。大祭が無事終わるのを見届けるかのように、その翌月、父の計さんが79歳で逝った。60年にわたり1人でつくってきたろうそくはどうなるのか。そのことで頭がいっぱいで、「葬式の最中も悲しんでいる暇なんてなかった」。

 周囲の期待をよそに、すぐに継ぐ気にはなれなかった。ろうそくづくりの経験と言えば、仕上げに表面を磨くのを手伝った程度。一から作業したこともなければ、教えてもらったこともなく、「自分にできるのか」と悩んだ。「何とかしなきゃ祭りができない」。ただその思いだけに突き動かされた。

 始めてみたはいいものの、次々壁にぶつかった。原料の配合、ろうの塗り方、道具の使い方……。「おやじの背中」を思い出しながら試行錯誤を重ねた。うまくいかず、「泣きそうになった」ことも。翌15年の大祭には何とか間に合わせたが、出来栄えは自分でも「ひでぇな」。形が不ぞろいで、中には傾いたものもあった。

 それでも、「もうだめだと思っていた」と涙を流して喜んでくれる人がいた。父と親交のあった老夫婦が「ろうそくがあってよかったね」と言葉を交わすのも聞いた。「来年もがんばってみようかな」と思えた。

 少し慣れてきた頃、今度はコロナ禍に見舞われ、大祭も縮小された。そんななかでも、地元の人たちは変わらず奉納を続けた。その思いに何とか応えようと、自身もろうそくづくりに向き合った。

 昨年あたりから、ろうを塗っているときの感触で太い細いの違いがわかるようになってきた。しかし、芸術的なほどまでに太く均一だった父には遠く及ばない。何も教わらずにいたことに後悔を覚える。

 ただ、思い出した言葉がある。「ひと塗りひと塗り丁寧に、奉納する人の気持ちを考えて」。大きな支えになっている。

 今年は参道に出店も並び、にぎわいが戻った。「浦佐がまた元気になったねと言われるのが一番。多くの人に福を授かってもらいたい」

 4日、待ちに待った日がいよいよやってくる。

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