リンチ受け逃れた日本で入管収容 チリ人シェフがミートパイに託す夢

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贄川俊
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 焼き色のついたパイの中から牛ひき肉の肉汁がこぼれ、生地に練り込んだバターの甘い香りもただよう。

 2022年6月4日、東京都練馬区の公園であった小さなイベント。母国チリのミートパイ「エンパナーダ」を笑顔でほおばる人たちをみて、クラウディオ・ペニャさん(62)は実感する。自分はみんなに料理を作ることが好きなんだと。

 シェフとして30年のキャリアがあるが、一般の人に料理をふるまったのはこの日が11年ぶりだった。

踏みつけられ右手に後遺症

 スペインイタリア、アメリカで修業してチリに戻り、32歳で国際料理コンテストで金賞をとった。

 直後、勤務先のレストランを出たところで見知らぬ男数人に銃を突きつけられた。町外れに連れて行かれ、服を脱がされて棒で何度も殴られた。

 「料理を作れなくしてやる」。大きな石の上に載せた手を、ガン、ガンと革靴で何度も踏みつけられた。左耳は聞こえづらくなり、左目の視力も弱くなった。折られた右手の指には後遺症が残り、今でも曲げたり閉じたりすることができない。

 ペニャさんの父親は、1990年まで続いたピノチェトの軍事独裁政権による左派への虐殺について証言していた。そのことで、家族が軍からも左派からも狙われるようになったという。コンテストの結果が報じられたことで、居場所が知られてしまったとみられる。

 身の危険を感じながら暮らしていたところ、日本にいる知人から声がかかった。シェフとして働かないかという。96年に単身で来日。渋谷や赤坂、六本木などのレストランで15年働いた。

震災で在留期限切れ 仮放免に

 11年にあった東日本大震災が生活を一変させた。一緒に店を出そうとしていた日本人の男性が、原発事故の影響でオーストラリアへ移住した。保証人がいなくなり、失業。代わりの保証人は見つからず、在留期限が切れて入管に収容されることになった。

 両親はすでに亡くなったが…

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