ロシアを体の一部と感じていた私 侵攻が打ち砕いた人々の心

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 タイトルは「ロシアから見える世界」です。

 まずはごあいさつがわりに、私とロシアのかかわりについて簡単にご紹介しましょう。

1990年、マクドナルドの袋を大事に抱えた家族

 今から40年近く前。1986年に大学に入学した際に、第2外国語にロシア語を選択したことが、私がロシアに触れるきっかけとなりました。当時はまだ、ソ連という国が地球上に存在していました。ペレストロイカと呼ばれる改革路線を始めたゴルバチョフ氏の人気が絶頂で、ロシア語選択者も前年より大きく伸びた年でした。

 「2外」にしては、けっこうまじめに学んだ方だと思います。大学2年のときには、NHKが公募していたラジオロシア語講座の生徒役に選ばれて、出演しました。

 初めてソ連を訪れたのは1990年3月のことです。4月から朝日新聞に入社することが決まっており、いわゆる卒業旅行というやつですね。私にとって初めての海外旅行でした。

 新潟から極東のハバロフスクまでアエロフロート機で飛び、そこからシベリア鉄道で約1週間かけて、モスクワに向かいました。車中で一緒になったロシアの人たちに聞いたゴルバチョフの評判はさんざんで、みんな口を極めてののしっていました。極端な物不足やアルコール規制が原因でしょう。その一方で「エリツィンに期待する」という声を数多く聞きました。

 とはいえ、ソ連のような共産党1党独裁の国で、多くの人が最高指導者の悪口を平然と語るということ自体、それまでは想像もつかなかったことで、ゴルバチョフの功績を物語っているとも言えるでしょう。

 モスクワでは、約1カ月前にオープンしたばかりのマクドナルド1号店を訪れました。冷たい雨の中の大行列、買った袋を宝物のように抱えて帰る家族連れが印象に残っています。

 あれから32年後の昨年、マクドナルドはロシアから撤退しました。ロシアがソ連に先祖返りしてしまったような感慨を覚えます。

プーチン政権下、10歳延びた平均寿命

 2回目にロシアを訪れたのは、1994年7月でした。語学を学ぶために会社からモスクワに1年間派遣されたのです。

 当時のモスクワは、犯罪と汚職とインフレの街でした。警察官は賄賂をせしめることしか考えておらず、外国人が泊まるホテルの周囲には売春で生計を立てる女性たちがたむろしていました。当時モスクワに住んでいた日本人で、街中を歩いているときに浮浪少年の集団に襲われなかった人は少数派でしょう。男性の平均寿命は50歳代に落ち込んでいました。チェチェンで凄惨(せいさん)な戦いが始まったのも94年暮れのことでした。あれほど期待されていたエリツィン大統領の人気はどん底でした。

 その後私がモスクワで暮らしたのは、2005~08年と、13~17年。いずれも特派員として、プーチン政権2期目と3期目を取材しました。このときに経験したことについては、今後のニュースレターでご紹介する機会もあるかと思います。

 1点だけ言えることは、モスクワは90年代に比べて見違えるほど栄え、高層ビルが次々に建築され、物があふれ、目に見える汚職や犯罪も減って一般の住民にとっては安全な場所になったということです。

 男性の平均寿命はこの間に約10歳延びました。

 この変化が、プーチン大統領の高い支持率の背景にあることは、押さえておく必要があると思います。

 こうして振り返ると、私はこれまで約9年間をロシアで過ごしたことになります。良い思い出も悪い思い出もありますが、ロシアは私の人生の重要な一部になっていると感じます。

クリミア併合時と比べても一変した雰囲気

 それだけに、昨年のウクライナ侵攻の衝撃は私にとって大きなものでした。

 私だけではありません。私のようにロシアを自分の体の一部のように感じていた人、ロシアで学んだり働いたりすることを人生の目標にしていた人たちの心を打ち砕いたのが、プーチン大統領の愚行でした。

 今回の戦争が破壊したのは、それだけではありません。

 最も取り返しがつかないのは、ウクライナの多くの人々がロシアに対して抱いてきた親近感が失われてしまったことではないかと感じています。

 2014年にロシアがウクライナ南部のクリミア半島を占領し、併合を一方的に宣言したとき、かつてプーチン氏の経済顧問を務めたこともあるアンドレイ・イラリオノフ氏は私の取材に対して、こう嘆きました。

 「ロシアはウクライナを失った。いつでもどこでもロシアを後押ししてくれていたウクライナ人からの、数世代にもわたる信頼が失われた」

 それでもこのときは、「悪いのはプーチン大統領であって、一般のロシア人ではない」という考えがまだウクライナの人々に残っていたように思います。

 例を一つ挙げましょう。ヨーロッパで毎年行われる大人気の国別代表アーティストによる歌合戦「ユーロビジョン」です。期間中、音楽ファンはサッカーのワールドカップを思わせる熱気で盛り上がります。

 順位は国別の視聴者とプロの審査員による投票で決定される仕組みです。自国代表に投票することはできません。

 2016年のユーロビジョンでは、ロシア、ウクライナ双方の代表が26カ国が参加する決勝に駒を進めました。

 採点の結果を見て私は驚きました。

 ウクライナの視聴者がロシア代表に最高得点を与えていたからです。ロシアの視聴者もウクライナ代表に2番目の高得点をつけていました。

 対照的に、プロの審査員は互いの国に1票も入れませんでした。

 国を背負う審査員と、自分の好きなアーティストに自由に投票できる視聴者の感覚の違いが浮き彫りになったできごとでした。

 しかし、こうした「国を憎んで国民を憎まず」というような雰囲気は、ウクライナ侵攻で一変しました。

 昨年からロシアはユーロビジョンを欠場していますが、参加していたとしても、ウクライナの視聴者はとてもロシア代表に投票する気にはならなかったでしょう。

悲劇という言葉でも尽くせない

 ノーベル文学賞を受賞したベラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエービッチさんは1月に朝日新聞デジタルで紹介したインタビューで、次のように話しています。

 「私が今住んでいるベルリンにもたくさんのウクライナ人がいます。彼らはロシアにとてつもない憎しみを抱いています。今、ロシアと停戦協議を始めようと言っても理解されません」

 ウクライナのゼレンスキー大統領は1月27日、国際オリンピック委員会(IOC)がロシアとベラルーシの選手を中立的な立場で五輪に参加させることを検討していることを厳しく批判しました。

 「戦争が続いているなかで、このような中立は存在しない」「ロシア選手のいかなる中立の旗も血塗られているのは明らかだ」

 今回の戦争ではウクライナのアスリートたちも数多く命を落としています。その侵略がまだ続いているというのに、IOCの前のめりの姿勢には私自身、首をかしげています。

 この問題は、朝日新聞1面のコラム天声人語も取り上げました。

 ウクライナのロシアへの憎しみは、今後世代を超えて続くでしょう。お互いに親戚も多く、歴史や文化も多層的につながってきた両国にとって、悲劇という言葉でも尽くせないほど取り返しのつかない損失だと思います。

 しかし、プーチン氏は意地でもウクライナを屈服させようという姿勢です。今後の見通しについて、私が書いた記者解説もお読みいただければと思います。

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